東海銀杏会通信

No.4
発行日 H10. 12. 22
発行人 東海銀杏会
編集人 藤村 哲夫


◆東海銀杏会事務局  〒453-0042 名古屋市中村区大秋町2丁目51番地 (株)カーネルコンセプト内 TEL 052-482-8088 FAX 052-482-8867 E-Mail icho@kernel.co.jp

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第4回東海銀杏会例会報告

幹事・広報委員
淺野道子(35経)


例会前に開かれた総会 去る9月16日(水)名古屋市東区の郵便貯金開館「メルパルク」において、東海銀杏会の例会が開催されました。恒例により、16時30分より講演会、18時15分より懇親会、そして、その後は、前回同様、別室に移って、2次会へと続きました。
田辺邦博(28法)代表幹事

 例会に先立って、幹事と連絡委員による幹事総会が開かれ、田辺邦博代表幹事(28法)より各委員会の状況と今後のスケジュールについての報告があり、会の進め方について活発な話し合いがおこなわれました。

===例会 講演会 <要旨別掲>===

十時博信氏(33法)Image4_4.jpg

 今回の講演は、十時博信氏(33法)の「落語と仏教」でした。司会の藤村哲夫氏(29工)からユーモラスな講師紹介があり、続いて、講演を一時間拝聴し、小憩の後、三山亭多楽(さんさんていたらく)(十時氏の芸名)師匠の「蒟蒻(こんにゃく)問答」の熱演を30分間聞き入りました。
 羽織・袴の正装で高座に上がった師匠の姿には独特の風格があり、身を乗り出しての熱演に、約100名の出席者は、日頃の憂うさを忘れて陶酔しました。

=== 懇 親 会===

懇親会風景

NHKのアナウンサー瀬戸秀夫氏(59農) NHK名古屋の人気アナウンサー瀬戸秀夫氏(59農)の司会で定刻に開会しました。
 最初に松本省吾会長(12法)の挨拶があり、会長は、幅広い業種に携わっている人たちが同窓の仲間として気楽に語り合えるこの会の意義の大きさを再認識し、皆さんと一緒に会員の増強に一層力を入れたいと強調しました。
 田辺邦博代表幹事より、経過報告として、企画、組織、広報、渉外の各委員会の最近の活動状況について詳細な報告がありました。
横山秀吉氏(6医) 続いて、出席者の最長老横山秀吉氏(6医)の元気な乾杯の音頭で宴に入り、恒例の卓別の自己紹介から歓談がはじまりました。
 司会の瀬戸氏は、諸先輩を前に最初は硬い表情でしたが、さすがはプロ、弁舌さわやかに会の進行を務めました。
話が弾む懇親会 宴会の合間に同好会の報告や勧誘などがあり、歓談盛り上がる中、時の経つのを忘れているうちに、終宴の時刻も迫り、白神賢治(40法)、松林正之(40農)、八谷周策(38法)の三氏が登壇、巧みなリードで、応援歌「ただ一つ」を全員合唱し、最後に、藤村代表幹事が今後の抱負や活動への協力依頼を交えた閉会の辞を述べて、予定どおり20時15分に懇親会をおわりました。出席者は約150名でした。


 約50名が4階「桃の間」に席を移して2次会に入り、歓談しながら会の余韻を楽しみ、約1時間後に名残を惜しみつつ次回の再会を約束して別れました。
 毎回、この会に出席していますが、回を追う毎に、東海銀杏会が、着実に一歩ずつ前進していく足取りを感じました。


●東海銀杏会 平成10年度 秋の例会 講演要旨

落語と仏教

富士変速機株式会社
取締役相談役 十時博信(33法)


はじめに
 まず話芸研究家・関山和夫氏との出会いからはじめよう。関山氏は仏教学者であると同時に熱心な話芸研究家として、特に落語の継承発展に学究の枠を超え精力的に取り組んでおられる。
 例えば含笑寺(がんしょうじ)(名古屋・曹洞宗)では、昭和四十二年三月に同寺本堂を借り落語を聴く会を起こし、これを「含笑長屋」と名付け月一回の例会を開催。誓願寺(京都・浄土宗西山深草派総本山)にて、策伝忌を昭和四十二年から毎年秋に厳修。当日は学生落語競演会・安楽庵策伝上人追善法要・説教・講演・奉納落語会を開催。
 阿弥陀寺(名古屋・浄土宗)に昭和四十三年十二月一日「咄塚」を建立。毎年十二月に物故噺家追悼会・咄塚建立記念東西落語会を開催。
 更に岐阜落語を聴く会を昭和四十五年から年四回の例会を開催するなど、その活躍は多岐に亘っている。私は予てから関山氏にその著書を通じ私淑していたが、平成八年十月の第三十回記念策伝忌を機に知己を得て以来、親しくお付き合いを願っている。

三山亭多楽師匠の蒟蒻こんにゃく問答不思議な縁
 去る八年前、縁あって岐阜に居を構えることになり、以来美濃出身の落語の祖・安楽庵策伝(あんらくあんさくでん)所縁の寺を訪ねるのを楽しみにしていた。
 美濃の立政寺(りゅうしょうじ)、京都の禅林寺、誓願寺を訪れ、肝心の浄音寺(美濃)だけが、なかなか機会がないまま、願いを果たせないでいた。ところが、今年三月下旬に関山氏の著書 『落語名人伝』 の「安楽庵策伝」の条を読んでいると次のような一文が目に鮮やかに飛び込んできた。「浄音寺住職の故高井善弘さんは、面白い人であった。(中略)剽軽者のこの和尚は、三人の息子に凄い名前をつけてしまった。文博・法博・経博という。文学博士・法学博士・経済学博士と三人も博士がいることになる」。実は、この三人のうち真ん中の息子さんと同姓性同名の方と以前に名刺交換したことを思い出したのだ。これは、ひょっとするとあの方では…。とにかく一度確かめて見ようと電話に手を伸ばしかけた、まさにその時、リリーンと電話のベルが鳴った。
 それは、その方から私あての講演依頼の電話だった。私はこの偶然のタイミングに何か運命的なものを感じた。そこで、よい機会とばかり「失礼ですが、お父上は浄音寺の高井善弘住職ではありませんか?」と、わくわくしながら尋ねたところ「ええ、そうです。どうしてご存知ですか?」。それからとんとん拍子に話が進み、去る四月、念願の浄音寺にご案内下さった。
 寺ではその方の実弟、高井経博住職にお目にかかり、寺の歴史など長時間に亘り、ご高話を拝聴し、その上貴重な 『浄音寺過去帳』 拝観の機会に恵まれたのは、望外の幸せであった。
 このことを後で関山氏にお知らせしたところ、「この不思議な御縁こそ策伝日快上人から頂戴したもの」との、丁寧なお葉書を頂戴した。

話芸の系譜(以下、関山氏の研究に拠る)
 話芸は"はなし"の"芸"であり単なる話術とは趣を異にする。"はなし"の"芸"とは、節談説教・落語・講談・浪花節のような、長い歴史と伝統の中で培われ、鍛えられ、練り上げられたものを指すのである。いかによく喋り、話術に巧みでも、それは話芸ではない。人間の社会生活に密着し、笑わせたり、感動させたりしながら、しみじみと聴かせる技術を"芸"という。日本の話芸を調べるには常に説話・咄職・説教の三つの系譜を考えなければならない。  まず説話の系譜であるが、説話とは我が国の神話・伝説・民話・童話・物語などの総称だが、それを材料とした文学を、特に"説話文学"といったりする。上古文学の流れを汲んで、平安時代初期にあらわれた 『竹取物語』 には、同音異義の活用によるユーモアがあふれ、区切りの部分には、"落ち"がつけられている。

 次に咄職の系譜としては、上代の「語部」、中世の「同朋」や「伽」、戦国の武将に仕えた「御咄衆」「御伽衆」等が挙げられる。戦国時代の「御伽衆」は神官・僧侶・医者・検校・宗匠等が大部分を占めていた。桃山時代、豊臣秀吉には「御咄の衆」を含む八百人の「御伽衆」がいたというが、これには茶人が断然多くなる。  秀吉の「御咄の衆」には当時の実力者が顔を揃えているが、その中には沢山の茶人(千利休・金森長近・織田有楽斎・古田織部など)がいたことは注目に値する。
 最後に説教の系譜を見てみよう。長い歴史と伝統の中で育成された日本仏教の説教は、千数百年の年輪の中で、幾多の優れた話し方の型を創造し、脈々と師資相承して近代に及んだ。  そもそも説教は釈尊一代の説教が「三輪説法」「十二分経」の方法や名称をもって、我が国に仏教伝来時からもたらされたもので、その淵源は極めて古い。それを、日本人の"はなし"の系譜の中に嵌め込んだ説教の力は話芸としては抜群のものであったのだ。天台宗で 『法華経』 を説くのに用いた一つの型である「三周の説法」を基礎にして、真宗(一向宗)では、「説教の五段法」という見事な型を江戸時代に創造伝承した。つまり?讃題?法説?譬喩?因縁?結勧の五段構成である。讃題(テーマ)が切りだしとなってマクラを振り法説・譬喩・因縁を中味とし、結勧をもって結ぶという三部に分ける。
 これを序・破・急の呼吸で「はじめシンミリ、なかオカシク、おわりトウトク」、口演せよと師匠は弟子に教えた。ここでの僧侶(説教師)の演出、表情・身振り・手振りの型は、まさに話芸というものであった。説教師が高座の上に端座して中啓(たんでも上の部分が開きかかっているように作った扇)一本で演じる形式や「師匠」「弟子」「高座」「前座」「マンダラ(落語界では手拭のこと)」や「一席」など、明らかに説教から出た名称が落語界で現在でも使われていることから見ても説教の落語に与えた影響の大きさがよく分かるというものである。

落語の成立
 安楽庵策伝 (1554〜1642) は、江戸時代から落語の始祖として、江戸の噺家の間で知られていた。策伝は、もともと浄土宗の僧で安居院流系の優れた説教師であり、多年に亘り話し続けた説教材料のメモを集大成したのが、『醒睡笑(せいすいしょう)』 八巻である。策伝が口演した説教の中で、最大の特色は"はなし"の末尾に"落ち (サゲ)"をつけることを実演した点にある。
 策伝が 「落語の祖」 なら、「落語家の祖」 とされるのが露の五郎兵衛 (1643〜1703) である。彼は、もと日蓮宗の僧侶の出と言われ、元禄の頃に、京都で辻噺を演じて評判をとり、ほぼ時を同じくして現れた江戸の鹿野武左衛門、大阪の米沢彦八と共に 「落語家の三祖」 として、落語史上に令名が高い。彼は、最も盛んだった一向宗 (真宗) の説教をはじめ日本仏教各宗の説教師の話法を熟知していたらしく僧名を露休と號し僧形で話し続けていたようである。

落語と仏教
 江戸時代、徳川幕府による仏教の保護もあり、仏教が日本人の生活のすみずみにまで浸透した。
 仏教的な芸能が極めて盛んで、仏教が生活と一体化していた。日本人の生活、「生きざま」「業」を活写した古典落語の中に、仏教が入り込むのは当然といえよう。落語には、説教から取材したものや説教自体が落語になったものが実に多い。江戸時代の中期から後期にかけて、真宗の説教が、節談説教の型を完成して盛んに高座で実演されていた。日蓮宗の説教も隆盛を極め、民間では仏教芸能の説教浄瑠璃も盛んであった。その時期に僧形ながらしきりに坊主の批判をしたり、僧侶(説教師)から噺家に転向したりするものが多数あらわれたのも注目してよい。江戸時代中期から後期にかけての説教は、まさに話芸であり、説教の会場は寄席であり、大衆娯楽の殿堂と化した一面があった。面白いことに江戸時代には寄席とは別にプロの噺家による「咄の会」(落語会)が、寺院で開かれることも多かった。それが落語と仏教の関わりの深さを一段と増すことになった。

落語に見る仏教風俗
 古典落語の中には何らかの形で仏教的なものが入っており、特に、仏教と関係が深いものを拾い上げても、枚挙にいとまがないほど多い。
 講演のあと、その代表作である 「蒟蒻こんにゃく問答」 の実演をご披露するので、落語と仏教の関係の深さの一端なりと、お汲みとり戴ければまことに幸いである。〔完〕


地域同窓会 紹介
− 関東で最初に設立 −

千葉銀杏会

藤村哲夫(29工)


 東京大学同窓会連合会の設立によって発展的に解散した本部としての銀杏会が、平成元年4月に発足したときに、活動方針の一つに地域同窓会の設立を挙げた。千葉銀杏会は、それに呼応して、関東地区最初の地区同窓会として平成4年2月に発足した。
 千葉銀杏会は、初代会長に故田中聖賢氏 (9工・元千葉工業大学学長) を選び、会員146名、会費無料でスタートし、2代会長佐久間彊氏 (16法・千葉経済大学学長) に続いて、平成10年度から玉置孝氏 (27法・千葉銀行会長) が会長を引継き、現在の会員数 (会費納入者) は179名。役員は、会長1名、副会長4名、監事2名、代表幹事以下幹事約20名、それに名誉会長、特別顧問、顧問で構成されている。
 代表幹事は、会長の指揮・監督により本部の内部事務を統括する。
 年会費は5000円。総会は年1回、毎年春 (3〜5月) に開催している。
 千葉県は首都圏内にある。同窓会組織は、ややもすると 「政・官」 の影響を受けやすいが、千葉銀杏会は、あくまでも、個人尊重を大切にして、「民」 主導の運営を心掛けているということである。
 次のような各委員会を設け、活発な活動をおこなっている。
 企画委員会:この委員会の中に、旅行部会、テニス部会、囲碁部会、ゴルフ部会があり、各部会は独立採算制をとり、原則として、年に2回の会合を開いて懇親の実を挙げている。
 各部会は関東銀杏会 (東京、神奈川、千葉、埼玉の各銀杏会で構成) との懇親を図っている。例えば、囲碁部会では、囲碁対抗戦を年1回おこなっている。
 会報委員会:千葉銀杏会会報 「葉杏 (YOU−CHOU)」 (24頁) を年2回発行している。
「葉杏」 は、各部会の行事内容の報告、行事への参加記事、会員寄稿の随想や技術解説など豊富な内容になっている。
 組織委員会:東海銀杏会が採用して効果を挙げている 「連絡委員」 制度を取り入れる検討が進められている。
 総会委員会:総会関連事項を担当する委員会で、組織拡大委員会と連携しながら、総会出席者の拡大と内容の充実を図っている。
 ワーキング・グループ会議 (WGM) :酒を飲みながら談論風発、楽しく語り合う会で、会員であればだれでも出席でき、話題も自由という千葉銀杏会独特のものである。
 原則として毎月第一月曜の午後6時30分より事務局で開催している。
 葉杏懇話会:平成8年12月に発足した。
 会員に広く関心があるテーマを選び、ゲストスピーカーの講話をベースに質疑や意見交換をおこなう。
 会場は船橋グランドホテル。年、2〜3回の開催を予定。会費は7〜8000円。

 千葉銀杏会事務局
 〒104−0061 東京都中央区銀座5−14−6
 豊川ビル別館5階 岩原総合法律事務所内

 事務局長:岩原武司氏 (46法)
 TEL.03−3542−2958 FAX.03−3542−2956


地元同窓会 紹介

和気藹々の集まり

銀杏電友会

藤村哲夫 (29工)


《発足のきっかけ》
 平成2年のはじめ、小崎栄一 (25卒)、田中三男 (26卒)、藤村哲夫 (29卒) が、某所で会した時に 「機械系は同窓会を盛大にやっているようだ (東海銀杏会通信No.2参照)。電気系もやろう」 という話が出ました。
 即座に衆議一決、直ちに準備に取りかかり、「東京大学電気系同窓会名簿」 から東海地区在住者を引き出して名簿をつくりました。該当者は112名でした。発起人に上記の3名に加えて、長沢和夫 (22卒)、志賀正明 (33卒)、生石尚志 (41卒) が加わりました。
「東海地区東大電気電子同窓会」 として発足し、第1回懇親会を平成2年5月11日、名鉄ニューグランドホテルで開催しました。出席者は36名でした。その後の懇親会は、いつも同ホテルでおこなっています。
 会則はとくに成文化してはいませんが、会の運営方針は次の通りです。

  1. 本会は会員相互の親睦を図ることを目的とする。
  2. 会員は、東海地区に在住する電気系 (電気・電子・電子情報工学科) の学部、大学院の卒業生、修了生とする。大学院のみも含む。
  3. 会長、幹事長、幹事、事務局を置く。
  4. 会費は徴収しない。経費が不足した場合は有志の寄附で補う。
  5. 会報は発行しない。
  6. 若い人が出席しやすいように懇親会費は、卒業年度によって3段階とする。
  7. 懇親会の開催は、年1回、原則として5月の第2金曜日とする。
 その後、すっきりした会名にしようということで、第7回 (平成8年) 懇親会で会名を 「銀杏電友会」 としました。
 現在の役員は、会長:榊米一郎 (10卒)、幹事長:太田宏次 (30卒・東海銀杏会副会長)、幹事:長沢、小崎、田中、藤村、太田、志賀、生石 (卒年順)、事務局:生石です。
 最近の名簿掲載者は約150名。懇親会出席者は30〜40名です。
 懇親会は、会長挨拶、乾杯ではじまり、形式的なことは一切なく、壇上では、各自が、近況報告や最近の出来事の感想などを気楽に語り、和気藹々として、楽しい時を過ごしています。
 懇親会費のみでは、通信費、印刷費などの一般経費が賄えませんので、幹事をはじめ10余名の方々から特別会費 (1万円/人) をご寄附頂き、順調に運営しています。最近は、若い人の参加が増えてきて喜ばしく思っています。
 会員資格者で案内のない方、名簿記載事項に変更のあった方、その他連絡事項のある方は、事務局までご連絡下さい。

事 務 局:中部電力 (株) 研究企画部
      生石 尚生(おいし たかし) TEL:052−624−8933 (直通)

(文中敬称略)


東大漕艇部の輝かしき歴史

銀杏電友会全日本レガッタ4連覇!!

藤村哲夫 (29工)


 最初に、わが国の大学にボートレースを導入したのは東大でした。
 東大には、明治20年頃に固定座席の六挺立てのボートが2隻あって、舟行組という日本最初のボートクラブが組織されていたようです。当時は、競漕用というより遠出して舟遊びするのが主体でした。
 明治20年に漕艇部が設立され、各学部対抗の第1回競漕大会が、皇族や大臣の臨席の許に盛大に挙行されました。
 その後、このレースには毎年招待席が設けられ、内外の名士や貴婦人が観戦し、観客は、立錐の余地もないほど隅田川の長堤を埋め、レースの様子は克明に新聞に掲載されるなど、東大の競漕大会は、「隅田川のボートレース」 として東都の重要な年中行事の一つになっていました。
インターカレッジは、日本漕艇協会主催の下に大正9年からはじまりました。
 第1回の出場校は、東京帝国大学、早稲田大学、明治大学、東京商科大学、東京高等工業学校の5校で、東大が決勝で東京高工に大差で勝ち優勝しました。
 昭和4年に全日本選手権競漕 (全日本レガッタ) が発足しました。第1回は、関東選手権者東大と関西選手権者関大の間で争われ、これも八艇身の大差で勝ちました。
 その後の全日本レガッタ優勝は数え切れないほどです。戦後も、東大のエイトクルーは、全日本レガッタを9度も制覇しています。
 本題の 「全日本レガッタ4連覇」 は、昭和54年から57年までの4年間です。当時は 「打倒東大」 が一つの合言葉になっていたほどです。
 オリンピックにも、昭和11年のベルリン大会にはエイトが、昭和35年のローマ大会にはフォアが、わが国の代表として出場しています。
東大の学校色は淡青です。これは大正9年にはじまった京大との対抗戦で、ケンブリッジ、オックスフォードの対抗ボートレースを模して、ボートの舳先に付ける旗の色を淡青と濃青にすることにして抽籤したところ、東大が淡青、京大が濃青に決まりました。これが因で東大の学校色が淡青になり、漕艇部は淡青会と名付けられたのです。
 各学部にも旗の色があります。工学部は白、法学部は緑、経済学部は橙、医学部は赤、農学部は紫、理学部は朱鷺色になっています。例えば、法学部の同窓会の 「緑会」 はボートの旗の色からきています。
 私は、当時勤めていた中部大学の職員食堂で、東大工学部の漕艇部時代の思い出を話していました。
 昭和39年の東京オリンピックで日本のボートチームの監督をされました堀内浩太郎氏にコーチして頂いたことを話しましたら、一緒に食事をしていました千谷慧子教授が 「それは私の兄です」 と言われてびっくりしました。
 千谷先生は、東大の女子端艇部の創立者の一人で選手として活躍されていました。
 お父さんの元北大教授堀内壽郎氏はボートに科学的漕法を導入して無名の北大を全日本レガッタで優勝させたボート会では有名な方です。
 こんなご縁で、千谷先生には、東海銀杏会の幹事をお願いして快く引き受けて頂いています。
 世間は意外に狭いものであることを痛感します。
 東大漕艇部の輝かしき歴史の復活を切に望んでいます。
(参考: 「東京大学漕艇部百年史」)


東京六大学野球トーナメント戦

岐阜大会

馬渕規行 (35農)


 今年第三回目となる東京六大学野球トーナメント戦が、8月25日〜27日にかけて岐阜県で開催されました。
 一昨年岐阜県知事の働きかけで始まった時は今後うまく運営して、発展させて行くことができるのか、という不安感が大きかったものですが、関係各位の懸命の努力に支えられ、ようやく定着して来たようです。
 ただこの事業の継続のためには、各大学の同窓会としても、応分の応援が求められており、岐阜銀杏会としても皆さんのご協力を得てまいりましたが、小世帯の悲しさ、分担金50万円の目標には、まるで届かない状況でした。
 しかし、今年は東海銀杏会の皆さん方のご支援を頂くことができ、第三回にして初めてほぼ目標額を達成する事が出来ました。
 この誌面をお借りして、厚くお礼申し上げます。本当にありがとうございました。
 ところで、トーナメント戦の結果ですが、東大は一回戦で立教に大敗し早々と姿を消してしまいました。
 今年は天候不順ではらはらさせられ結局3位決定戦は中止となりましたが、決勝戦は何とか小雨模様の中で強行し、すばらしい投手戦の末慶応が明治をくだして初優勝し無事全日程を消化すること出来ました。
 この大会には、各大学の応援団も同行して、試合と同時に華やかな応援合戦も繰り広げており、楽しい催しです。
 来年も是非岐阜まで応援にこられませんか。
 若き日の神宮の感動を、十分に味わって頂けるものと思っております。


福岡県古賀市長選 初当選

中村 隆象
(46経)



「日本一住みたい街に」
中村 隆象氏

 東海銀杏会の皆様ご無沙汰致しております。
 今年3月に名古屋を離れた後、故郷の福岡県古賀市に戻って市長選挙を戦っておりました。
 皆様の援護射撃もいただきまして、おかげさまで11月29日に当選を果たすことができました。厚く御礼申し上げます。
 古賀市は福岡市のベッドタウンの一面もあり、今も人口が増え続けている元気な街ですが、一方、生活インフレの立ち遅れが目立つ等の問題もかかえております。
 私は、この古賀市を 「日本一住みたい街に」 したいと考え、これから奮励努力して参りますが、今後共皆様のお智恵とお力を貸していただきますようお願い申し上げます。


同好会からの お知らせ


■囲碁同好会

 昨年8月にスタートし日本棋院中部総会部で隔月開催していた東海銀杏会囲碁同好会は、今年3月を最後にしばらく中断していますが、来年度からまた装いを新たに再開すべく準備を進めています。これから世話人を複数募り、栄近辺 (食事付) で懇親を深めながら続けていきたいと考えています。またあらためて連絡いたしますので宜しくお願い申し上げます。新しく入会御希望の方は下記に御連絡下さい。

〈連絡先〉
東海銀杏会囲碁同好会事務局 小竹暢隆 (51工修)
(株)地域計画建築研究所 (アルパック) 名古屋事務所
〒460-0008 名古屋市中区栄3-18-1
ナディアパークビジネスセンタービル13F
TEL(052)265−2401 FAX(052)249−3925
e-mail:arpake@tcp-ip.op.jp


■ゴルフ同好会発足

 皆さまのご要望に応じまして、ゴルフ同好会を発足させます。盛会に続きますよう皆さまのご参加、ご支援を宜しくお願い致します。
 発足にあたり、会員の皆さまに運営についてのアンケートをお願いしましたところ、19名の方からご回答を頂きました。
 ご回答を集約して、当面、次の通りに運営致します。
 土、日曜日のいずれかに年2回開催、コンペ方式、当日精算。
 第1回コンペは、下記の通り予定しています。

−−−− 記 −−−−

 会 場:藤岡カントリークラブ
 日 程:3月7日(日)、または3月14日(日)
上記のいずれの日にするかは、皆さまのご希望も加味して幹事で決定させて頂きます。  概算費用:25,000円
参加ご希望の方は、希望日をご指定の上 (いずれでも可の方はその旨ご記入下さい)、平成11年1月末までに下記の幹事までFAXにてご連絡下さい。

幹 事:FAX. 052−581−4720
          新日本製鉄"名古屋支店 白神賢志


東海銀杏会ホームページ
リニューアルオープン


 このたび、東海銀杏会のホームページをリニューアルオープンいたしました。
 銀杏会行事のお知らせの他、銀杏会通信の写真をカラーでごらんにいただけるページも用意しました。
 分科会、同好会のご案内や活動内容も適時載せていく予定です。
 是非一度ホームページにお立ち寄りいただきますようご案内いたします。アドレスは、「http://www.kernel.co.jp/t-icho/」 です。
 また、会員のみなさまの情報交換の場としてもご利用いただくために、リンク集ページも用意しています。
 リンクをご希望の方は、東海銀杏会ホームページウェブマスター [森井 (81工);E-Mail:PBA02635@Nifty.ne.jp] までご連絡下さい。

編集後記

寄稿歓迎

 東海銀杏会の運営に御協力頂きました中村隆象氏の市長当選を心からお祝い申し上げます。
 地区同窓会紹介に今回は千葉銀杏会を取り上げましたが、東海銀杏会より規模が小さいにもかかわらず、活発な活動をしているのには敬服しました。
 東海銀杏会の活動も一層活発になるように皆さまのご支援を宜しくお願い致します。
 お世話役のご尽力によりまして、新年からゴルフ同好会がスタートします。皆さまと一緒に盛り立てていきたいと思います。
 この他、新しい同好会のお世話を頂ける方がございましたらお申し出下さい。
 皆さまから随筆を募集していますが、まだ、ご投稿を頂いていません。何でも構いませんので、どなたか是非、随筆をお寄せ下さいますようお願い致します。
 銀杏会通信や銀杏会の運営に関するご希望、ご意見がございましたら事務局までお届け下さい。委員会や幹事会で検討致します。(T.F)