東海銀杏会通信

No.7
発行日 H12. 8. 1
発行人 東海銀杏会
編集人 藤村 哲夫


◆東海銀杏会事務局  〒453-0042 名古屋市中村区大秋町2丁目51番地 (株)カーネルコンセプト内 TEL 052-482-8088 FAX 052-482-8867 E-Mail icho@kernel.co.jp

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平成12年度 総会

幹事・広報委員 浅野道子(35経)


 3月8日 (水) 「メルパルク」 において、 平成12年度東海銀杏会総会が開催されました。 恒例により総会に先立ち、 幹事総会が開かれ、 12年度の組織体制の強化や総会提出議題の審議が行われました。

総   会

会場風景 長谷川代表幹事 (32法) の司会により、 16時から総会を開催、 議長は恒例により松本省吾会長 (12法) を選出。 平成11年度活動報告並びに会計報告を、 岡田啓作幹事 (42法)、 監査報告を永井恒夫幹事 (35法) が行い、 続いて会則の一部改定が審議承認されました。

 変更内容は、 顧問を理事に名称変更し、 幹事会の中に常任幹事を置き、 各種の地元同窓会との連携強化をきめ、 東京大学同窓会組織の充実に寄与することを、 目的に加えました。

 続いて木戸泰明幹事 (42工) により、 12年度の役員体制についての報告があり、 役員の大幅な増加をし、 代表幹事に中野淳司 (36法)、 近藤詔治 (40法)、 事務局長に水野秀昭 (49工) の各氏が就任。 理事12名、 幹事12名を新たに選出し、 幹事総数47名となりました。

 つぎに水野事務局長より、 12年度の活動計画ならびに予算が説明され、 原案通り可決承認されました。 出席者数約130名。 今回は若い層の出席が目立ちました。

講演会 (要旨別掲)

 16時30分より愛知県健康づくり振興事業団理事長兼あいち健康の森、 健康科学総合センター長 井形昭弘氏 (29医) により 『夢の未来長寿社会』 の演題でスライドを使用してご講演頂きました。 未来の長寿社会を悲観的に考えてはいけない。 いかなる老人病もいつかは必ず解明され、 予防、 治療が可能となる。 自らの体験に基づく話にうなずくことが多くありました。 未来はプラス志向で考えようとも話されました。

 また健康、 医療、 福祉の一体化が大切とも。

懇 親 会

 18時15分より松林正之幹事 (41農) の司会により懇親会に入り、 松本会長の挨拶に続いて来賓として東京大学同窓会連合会監事兼関西東大会幹事 原正喜氏 (23経)、 東京銀杏会副代表幹事 小林和子氏 (39文)、 関西東大会代表幹事 大月功氏 (37法) の3氏を代表して大月氏よりご挨拶をいただきました。 続いて石井直一理事 (12法) の乾杯の音頭で懇親に入り2時間の歓談の後、 松林、 本田、 渡辺の3氏の壇上でのリードにより恒例の応援歌 「ただ一つ」 を全員で合唱し、 内藤明人副会長 (23工) の挨拶で終宴になりました。

 前回同様5階に移動して二次会を30余名が出席して、 9時過ぎまで歓談しました。


平成12年度 総会 講演要旨

夢の長寿社会

あいち健康の森・健康科学総合センター長
井形 昭弘

講演する井形 昭弘氏


はじめに

 わが国は極めて短期間の間に世界一の長寿国となった。 65歳以上の人口が2倍になる期間は高齢化の指標であるが、 欧米諸国が数10年、 永いところでは150年近くかかったのをわが国は20数年で達成したのであるから、 世界の諸国が驚いたのも無理もない。 これは医学の進歩、 皆保険制度、 経済発展などの要因が働いた為であるが、 世界に誇るべき成果であろう。

 今やわが国は世界一の長寿国となったのであるから、 もはや先進国の模倣では対処出来ず、 未来長寿社会は、 われわれ自らの力で創造して行くべき責務を担うに至った。 人類にとって長寿社会の創造は初めての大事業と言って良く、 その未来像を目指して世界各国が鎬を削っているのが現状で、 わが国はその最先端にいる。 それだけにわれわれは、 人類の未来を開拓して行くべき責務を担っているのである。

未来長寿社会のパラダイム

 従来は、 若い人中心の社会のルールを手直しして対処出来ていたが、 高齢者が2000万を超す時代になると、 それでは通用せず、 新しい理念と哲学が必要となっている。

 先ず、 われわれは人間に生まれてきたことに感謝すべきである。 父親の無数の精子の中の一匹が幸運にも卵子に命中して生まれた確率は何億円の宝くじに当るよりずっと低いことを知るべきで、 それから命の尊厳が理解出来る。 その命は子孫を残すことで永遠に伝えられるもので、 個々の人間の命は有限である。

 高齢者は、 日常自らの命がそう永くないことを意識しており、 人生を良く生き抜き、 病気や痛みに妨げられず有終の美を飾って人生を終えることに関心を持っている。 つまり長寿社会では、 単なる延命よりもQOL (命の質、 人生の質) を維持、 向上させることが最大の課題となる。 現在、 尊厳死 (自然死と表現するのが適切) 運動が高齢者で多くの賛同を集めているのもこれと無縁ではない。

老年病の征圧

 QOLを妨げる最も大きな因子は老年病であるが、 これは加令に伴う宿命ではない。 原因のない病気はあり得る筈もなく、 何時かは必ず解明され、 予防、 治療が可能となる。 ただ、 加令は老年病のリスクファクターの一つである以上、 老化の本態を明らかにし、 老化を遅らせることが成功すれば、 例え老年病の原因が不明のままであっても老年病の発症を抑制することが出来る。 老化の研究が重要な所以である。

 老化は人によって相異があり、 同じ年齢でも若々しさに大きな差がある。 70歳ではプラスマイナス10年以上の差がある。 つまり80歳代前半から50歳代後半までの方が連続的に混在している。 従って私は 「健康であれば年齢のサバを読み、 数歳若いと宣言すること」 をお奨めしている。 60歳の方と70歳の方との鑑別は不可能であり、 社会は暦の年齢でなく如何に健やかで、 意欲があるかで遇するのが望ましい。 社会は健康と意欲により実際より若いと評価し、 そのエネルギーを社会の発展に結びつけることが出来れば未来長寿社会はバラ色となる。

健康づくり

 従来は治療医学が主流を占めており、 健康保険では発病して始めて給付が行われている。 治療医学は大きな発展を示したが、 予防がより重要なことはいうまでもなく、 発病そのものを予防する第一次予防が重視されるようになった。 従来の 「健康を守る」 から 「健康を創る」 時代になり高齢者もその埒外にない。

未来長寿社会は明るい

 現在マスメディアは未来が暗いとのイメージを報じており、 要介護者は2025年には今の2倍以上の520万に達すると予測されている。 しかしこれは今後医学も進歩せず、 社会制度も不変であるとの前提による最も悲観的なものであることを知るべきであろう。 国立長寿医療研究センター創設に際して長寿科学研究者800名に未来アンケート予測調査を行ったところ、 アルツハイマー病は2010年に解決すると予測された。 過去の医学の輝かしい成果と現在の夥しい分子生物学のデータからみれば、 この予測は必ずしも荒唐無稽なものとも言えないが、 若干楽観的である。 現実には、 この予測と先に述べた最も悲観的な予測との間のどこかの時点で解明される筈で、 それが何時になるかはわれわれの努力次第と言うべきであろう。 また、 現在65歳以上の人口が2,000万を越えたと言って、 一般に暗いイメージで議論されているが、 要介護者は、 現在65歳以上の高齢者の12%であり、 今後無限に増える訳でもない。 逆に、 要介護者の8倍もの 「健やかで意欲ある円熟した頭脳と豊富な経験を有する高齢者」 が社会に生まれるのであり、 これが高齢化の実態と言うべきであろう。 これが社会のマイナスになる筈はなく、 その高齢者のエネルギーを社会発展に結びつけることが出来れば高齢社会の負担は限りなくゼロに近づく筈である。

 ハイテク技術もバラ色の長寿社会を支える。 例えば老眼鏡がないと高齢者は全て視力障害者であるが、 老眼鏡のお陰で若い人と全く同じ能力を維持できている。 わが国のハイテク技術は世界有数のレベルにあり、 今後、 長寿社会で大きな支援効果を発揮すると期待されている。 例えば音声入力の支援装置、 介護支援ロボット、 あいまい言語解析装置、 視覚聴覚コミュニケーション機器などが開発されれば、 バラ色の長寿社会を演出してくれる筈である。 心理的領域でも、 テレビ電話などで高齢者の孤独は完全に解消し、 徘徊老人ともセンサーで所在を管理出来れば拘束は不要となる。 これらの産業を含め高齢者関連産業は、 将来わが国の基幹産業として発展すると予想されるが、 その理由は高齢者が増えればそのニーズは無限に広がり、 その様なマーケットは他にないからである。

新しい介護ケアシステム

 平成12年4月には新しい介護保険が導入される。 これは残された能力を十分に活かし積極的に自立を支援することを目標としており (介護保険法第1条)、 その意味では介護も医療と同じく将来の健康と幸福を期待する投資であると考えるべきである。

 わが国の介護保険は北欧の公費負担方式とドイツの完全保険方式のそれぞれの長所を取り入れたユニークな制度で、 外国では高く評価されている。 また要介護者のみならず要介護になるのを防ぐために虚弱老人を対象に予防給付を行い、 要介護度認定に公正さを保証するコンピュータシステムを導入している。

 一方、 社会的に見ても、 介護保険の導入で売り上げ4.8兆円、 100万オーダーの労働力を擁する大企業が生まれることを意味し、 GDP押し上げ効果が大きいことが予測されている。 またこの分野では年齢制限を付けておらず、 これは高齢者労働市場を提供することとなっている。

 世界のどこの国でも準備万端整って福祉システムをスタートさせたところはなく、 全て血の滲む試行錯誤の上に今日がある訳で、 われわれも先ず一歩踏みだし、 試行錯誤を繰り返し柔軟に完成してゆく姿勢が求められている。

おわりに

 長寿社会では 「誰でも何処でも何時でも安心して暮らせる社会の構築」 が目標で、 今、 われわれはその目標に向けて前進しつつある。 夢の長寿社会は目前にある。 全力を挙げて未来長寿社会の創造に向けて努力を尽くそうではないか。


あいち「健康の森」紹介

 健康で生きがいに満ちた長寿社会を実現するため、愛知県では、大府市と知多郡東浦町にまたがる丘陵地に、保健・医療・福祉・生きがいを推進する総合施設「あいち健康の森」の整備を進めています。

 5つのゾーンからなる、この「あいち健康の森」の健康ゾーンに誕生し、中心的施設として幅広い活動をくりひろげていく「あいち健康プラザ」。

 人生80年を明るく、前向きに楽しんでいただくよう、新しい健康づくりを提案していきます。

健康ゾーン
「あいち健康プラザ」が誕生し、健康づくりの動機づけから実践まで、さまざまな健康情報を発信していきます。

運動ゾーン
 あいち健康の森公園として、スポーツやレクリエーション施設の整備を進めています。(平成13年度整備完了予定)

研究ゾーン
 国立の「長寿医療研究センター」などが設けられているほか、小児保健医療総合センター(仮称)の建設も予定されており、幅広い研究開発、保健医療が行われます。

生きがいゾーン
 民間活力を導入し、生きがい関連施設を予定しています。

福祉ゾーン
 福祉関連施設を予定しています。



地域同窓会 紹介

新発足した 茨城銀杏会   

藤村哲夫 (29工)


 茨城銀杏会は、 平成11年3月27日に設立総会を開いて、 会則を定め、 石川周会長 (28経・常陽銀行)、 竹内成一代表幹事 (25経・茨城交通) をはじめとする役員を選出して発足した。 茨城県地区の全学同窓会として新しく生れたばかりの新進同窓会である。

 6月7日に開催された東京大学同窓会連合会で連合会への加盟が認められた。

 今後は、 会員同士の親睦を図ると共に各地の地域同窓会と連携を密にして母校の発展に寄与したいと念願している。

 目下、 会員の増強中であるが、 発足当初の会員予定者は百余名である。

 入会金は5000円、 年会費は2000円である。

 新発足したばかりであるので、 会報の発行など、 これから具体的な形で会の充実が図られることになる。

 東京周辺の地域同窓会の共通の悩みかも知れないが、 茨城県内に在住していても、 勤め先が東京都内であったり、 転勤で一時的に茨城県に勤務している人も多数いて、 既に東京銀杏会にも所属している会員も多い。 そのために、 積極的な活動の盛り上がりに今一歩のところがある。

 このような実状の中で、 今後、 会の発展のために、 どのような活動を展開するかが、 これからの重要な問題となっている。

 これらのハンディを克服して、 新進の地域同窓会として大いなる発展が期待される。


6年間を振り返って

前事務局長
田辺和夫 (37工)


1. はじめに

 昭和63年に発足した東海銀杏会には暫くの間事務局がなく、 例会案内状の印刷・発送、 出席者名簿の作成等の事務作業を東京の "銀杏会" 世話人の梅本博勝氏にお願いしていました。 私が事務局を引き受けたのは平成6年ですが、 幹事会で例会参加者の増加策を討議していた時に 「自ら同窓生情報を管理しなければこれ以上の増加は難しい」 と発言したことがきっかけでした。 それから本年春の退任までの6年間の変遷を振り返って見たいと思います。

2. 情報管理の充実

 それまでの東海銀杏会は会則も組織も特になかったので、 私は先ず必要最小限の整備を提案しました。 会則が定まり、 松本省吾代表、 永井恒夫監事、 岡田啓作会計ほかが選出され、 私も事務局長に就任しました。 早速、 次の二つを実施しました。

3. 連合会の設立

 東大当局に認知された全学同窓会 "東京大学同窓会連合会" の設立は、 既存の全国組織 "銀杏会" の解散と対をなしています。 これを主導したのは、 東京銀杏会、 関西東大会、 東海銀杏会 (以下、 東京、 関西、 東海と省略) でした。

 平成元年に発足した年会費制の銀杏会は、 全国を単一組織で運営していましたが、 伸び悩んでいました。 東海は銀杏会に協力して年会費なしで運営していましたが、 会費がすべて銀杏会に入金されて地方に回されないのは不合理だと考え、 平成6年に 「地域活動を重視する運営改善が必要」 と提言しました。 これを受けて銀杏会は支部設置構想を出し、 千葉、 神奈川、 埼玉の各支部銀杏会が誕生し、 若干の交付金支給を受けるようになりました。 東海も交付金を受けました。 しかし、 この仕組みは "国が税金を徴収し地方に交付する我が国の中央集権的行政" と同じでまだ不十分でした。 東海の本当の主張は "金の流れが逆の地方分権" でした。 一方、 東海と並んで古い歴史の関西は、 最初から銀杏会とは一線を画して独自に年会費制運営を行っていました。 このような状況の中で、 平成7年に東京銀杏会が設立されました。 東京も年会費制で、 銀杏会の支部というより独立した地域同窓会の性格を帯びていました。

 平成8年初に関西・東海が 「各地域同窓会の活動が基本にあって、 その連合体として全国組織を形成するのが望ましい」 という共同見解を出すと、 直ちに東京が呼応して、 4月には "新しい全学同窓会の結成" を目指す覚書きが東京、 関西、 東海の間で交わされました。 その後千葉、 神奈川、 埼玉も加わり、 銀杏会本部も交えて8回の会合が開かれ、 この中で "銀杏会の解体" も確認され、 平成9年4月の "東京大学同窓会連合会設立総会" を迎えたのです。 この一連の活動で、 東京 (三田和美氏)、 関西 (薩摩和男氏)、 東海 (私) の三事務局長が推進役を担いました。

4. 東海銀杏会の再出発

 連合会設立に呼応して東海も平成9年度から年会費制に移行し、 再出発しました。 連合会が各地域銀杏会からの拠出金で運営されるので、 その意味でも年会費徴収が必要となったのです。 一方、 年会費を納入される会員へのサービスも考慮しなくてはなりません。 そこで、 平成9年の総会で再出発を宣言し、 松本会長以下役員の充実をはかり、 次の活動を開始しました。

5. おわりに

 本年の総会で藤村哲夫・長谷川?曼両氏に加えて中野淳司・近藤詔治両氏が新しく代表幹事に、 そして私に代わって水野秀昭氏が事務局長に就任され、 新体制がスタートしました。 国立大学の独立行政法人化の動きも活発化しており、 東京大学を支える全学同窓会の必要性が益々高まっています。 連合会及びその一翼を担う東海銀杏会の益々の発展を祈念して筆を擱くことにします。

   左:前事務局長 田辺氏  右:新事務局長 水野氏


事務局長就任にあたって

事務局長 水野秀昭 (49工)


 前任の田辺和夫さんからバトンタッチを受けて、 この4月から事務局長を拝命しております水野秀昭 (1974年工学部卒) と申します。 東海銀杏会員の皆様、 どうぞよろしくお引き立ての程お願いします。

 事務局長を引き継ぐ件に関しては、 数年前より田辺さんから言い渡されて覚悟をしてはいましたが、 いざ引き受けてみると、 その責任の重さに身のすくむ思いです。

 田辺さんは、 事務局の引き継ぎに先立って東海銀杏会の運営組織の確立にリーダーシップを発揮され、 現在あるような役員、 委員会といった体制を事実上取り決めなさいました。 その組織作りの考え方には、 より多くの方々の参画によって同窓会活動を盛り上げるべしという、 本来の理念が反映されていることはもちろんですが、 田辺さんのようなスーパーマンでなくても事務局が運営できるようにという、 親心も込められていたことは、 関係者の多くが認識しているところです。

 さて、 先輩からそれだけのレールを敷いて頂いて引き継いだからには、 滞りなく事務局運営が出来て当たり前のはずですが、 どうやらスタート早々からミス続きで皆さんにご迷惑をおかけし、 恥じ入るばかりです。 最近の私は日に日にずぼらになり、 およそ事務局長という肩書きに似合わない性格の人間になっているものですから、 果たしてどこまで満足に勤まるものやら先行きを考えると暗澹たる気分になってしまいます。 本当に頼りになりませんから、 皆さん全員で支えて下さるよう重ねてお願い致します。

 さて、 少しばかり自己紹介しますと、 私は(株)カーネルコンセプトというIT関連の企業を中核として、 (株)ビジネススペースというマンションの短期賃貸を営む事業など、 現在7社の運営に携わっています。 これらの会社はほとんど私が設立したもので、 世にいう起業家という種族に属しておりますが、 これまでのところ本学の卒業生の中ではかなりの希少種ではないかと自認しております。

 なお、 新事務局は以下のとおりです。


新 事 務 局

〒453-0042 名古屋市中村区大秋町2丁目51番地
      (株)カーネルコンセプト内
      東海銀杏会事務局
      TEL 052-482-8088 FAX 052-482-8867
      E-mail icho@kernel.co.jp


東京大学の沿革

その3

(各省の高等教育機関)

藤村哲夫 (29工)


総合大学

 明治政府の各省では、 所管する業務を円滑かつ強力に遂行するために、 すぐれた指導者を確保することが急務であった。 そのために各省は自前で高等教育機関を設けた。 これらの教育機関が後に、 東京大学と一緒になり、 東京大学が総合大学に発展するのに大きく貢献した。

 司法省管轄の法学校は、 明治17年12月、 文部省に移されて東京法学校となり、 翌明治18年12月、 東京大学に併合された。

 工部省管轄の工部大学校は、 明治19年3月、 文部省に移され、 東京大学と一緒になって帝国大学となり、 帝国大学工科大学校になった。

 農商務省管轄の東京農林学校は、 明治23年6月、 帝国大学農科大学になった。

 註:帝国大学の創立については次回紹介する。

東京法学校

 明治5 (1872) 年7月、 司法省が設置された。 同年9月、 司法省の法学教育機関として明法寮が設けられた。 明法寮の修学年限は不定で、 明治5年入学の第一期生20名の内、 在学期間の最短は10ヶ月、 最長は3年10ヶ月であった。 入学試験は毎年おこなわれず、 学生の定員がある程度不足すれば、 補充として学生を募集した。

 明治9 (1876) 年3月、 法律官の大量養成のために第二期生約100名を入学させた。 この時に 「法学校」 に改称され、 正則科の修業年限は、 予科4年、 本科4年の8年と定められた。 教授はすべてフランス人で、 助教授として日本人の通訳がついた。

 第二期生が卒業する直前の明治16年10月に約200名の第三期生を入学させた。 この間の7年半は、 正規の募集はおこなわず、 若干の補充入学を認めたに過ぎなかった。 第二期生の内、 卒業できたのは37名で入学者の三分の一であった。 明治9年3月、 正則科とは別に修業年限2年の速成科が設けられた。

 明治17 (1884) 年12月、 速成科は司法省の管轄下に残され、 正則科は文部省に移管されて東京法学校になった。

工部大学校

 明治3 (1870) 年、 殖産興業推進機関として工部省が設置された。 明治4年8月、 工部省は、 技術の指導者を養成するために工学寮を設けた。 虎ノ門に校舎を建て、 明治6年7月に最初の入学式をおこなった。

 工学寮の修業年限は、 予科2年、 専門科2年、 実地科2年の6年であった。 当初の工学寮の教師はすべてイギリス人で、 授業は英語でおこなわれた。 カリキュラムの作成など工学寮の運営は、 明治6年6月に来日したイギリス人ダイヤーが取り仕切った。

 明治10 (1877) 年1月、 工学寮は工部大学校に改称された。 設置された専門学科は、 土木学、 電信学、 鉱山学、 実地化学、 機械学、 造家学、 冶金学の7学科で、 明治15年に造船学科が加えられた。

東京農林学校

 明治10 (1877) 年2月、 内務省農事修学場が今の新宿御苑の地に開場された。 この農事修学場は、 同年12月に駒場に移され、 11年1月、 農学校になった。 修業年限は、 予科2年、 専門科3年、 試業科3年の8年であった。 専門科には、 農学本科、 農芸化学科、 獣医科が置かれた。

 明治14 (1891) 年4月、 農商務省が設置され、 内務省の農林関係業務がここに移された。 それに伴って、 農学校は農商務省の管轄になった。 明治15年5月、 農学校は駒場農学校に改称された。 修業年限は、 予科2年専門科3年の5年であった。

 駒場農学校の英名は 「Imperial College ofAgriculture」 で、 後に帝国大学の一部になることを予言しているような名称であったことは興味深い。

 明治15 (1882) 年12月、 農商務省は林学専門教育機関として東京山林学校を豊島郡西ヶ原村に創立した。 修業年限は3年であった。

 明治19 (1886) 年7月、 農商務省は、 駒場農学校と東京山林学校を合併して東京農林学校を創立した。 この合併は経費節減のためであった。

 東京農林学校は駒場に設けられ、 農学部、 林学部、 獣医学部の三学部と予備科、 及び各部に付設の速成科が置かれた。 修業年限は、 速成科は2年、 予備科は3年、 農学部と林学部が2年、 獣医学部が3年であった。



同好会からのお知らせ

第2回 ゴルフコンペを盛会裡に開催

世話人
久保田 勲 (40法・旭硝子)
松林 正之 (41農・大成建設)


 

ゴルフコンペ 東海銀杏会第2回ゴルフコンペを、 3月12日(日)、 瑞浪市のベルフラワーカントリークラブで開催しました。 "東海地区東大同窓生名簿" の中から "趣味ゴルフ" のキーワードで90数名の方にご案内状を出し、 27名のご参加を頂きました。

 参加者は昨年の第1回コンペのほぼ2倍に増え、 その上、 "銀杏会晴れ" ともいうべき快晴に恵まれて、 充分に懇親の目的を達成できました。

 ハンディはダブルペリア方式を採用しましたが、 ネットスコアは白熱した状態になり、 その中で、 磯部克彦さん (36経) がG (グロス) 90・H (ハンディ) 18・N (ネット) 72で優勝されました。 2位が桑門聰さん (43工) でG84・H12・N72、 3位が古藪秀樹さん (40工) でG86・H13.2・N72.8でした。

 このような接戦になると、 ご参加の皆さんは 「次回には自分にも大いに優勝のチャンスあり」 と自信を強められたと思います。

 コンペの後の懇親会では、 楽しい戦いの後を振り返って、 大いに盛り上がり、 次回を約束して散会しました。 次回にはさらに多くの参加者を期待しています。


 関ヶ原合戦400年記念

オールスター 東西対抗学生野球が

8月19・20日岐阜で開催


 関ヶ原合戦400年の記念行事として、 東西対抗学生野球が下記の予定で実施されます。

 わが母校東大も参加している東軍の応援を宜しくお願い致します。

 選手は、 下記の各大学より選抜されます。

東軍    −−−● 出 場 校 ●−−−    西軍
東京大学 早稲田大学 | 京都大学 関西大学
慶応義塾大学 明治大学| 関西学院大学 近畿大学
法政大学 立教大学  | 同志社大学 立命館大学

●8月19日(土) 大垣市北公園野球場
       (大垣市八島町2347)
 12:30〜 ……… 開始式
 13:00〜 ……… オールスター戦 第1戦

●8月20日(日) 岐阜メモリアルセンター長良川球場
 8:00〜12:00 ボーイズリーグ交流試合
 12:30〜 ……… 開始式
 13:00〜 ……… オールスター 第2戦
 16:00〜 ……… 閉会式

●予備日:8月21日(月)

●入場料:内野席 (2日間通し券)  大人1,000円
     外野席 全席無料開放 但し、 内野席でも高校生以下、 70歳以上、 身障者は無料

●チケット発売所:新岐阜百貨店、 岐阜高島屋内プレイガイドなど
(註:本対抗戦の実施により今年は恒例の六大学野球トーナメントは開催されません。)


編集後記

寄稿歓迎

 田辺和夫前事務局長には、 6年間の長きにわたり、 初代事務局長として、 たいへんなお骨折りを頂きました。 東海銀杏会の現在までの基礎固めは、 田辺事務局長のご尽力に負うところ極めて大きいものがあります。 田辺氏のご尽力がなければ、 本会のこのような発展はなかったと言っても過言ではありません。

 田辺氏は、 東京大学同窓会連合会の設立にあたっても、 中心人物として活躍されました。 東海銀杏会の存在が大きなウエイトをもって全国に認められているのも、 田辺氏のご活躍のお陰であります。 ここに、 あらためて厚く御礼申し上げます。

 このたび、 編集人からとくにお願いして、 「6年間を振り返って」 という記事を書いて頂きました。 これを読みますと、 6年間のご苦労をいまさらながら強く感じました。 長い間、 ご苦労様でした。

 新事務局長を水野秀昭幹事が引き受けて下さいました。 これまでの幹事会の様子から事務局長の仕事がいかにたいへんであるかを身近に感じてこられた上でのご承諾です。 心から敬意を表すると共に感謝致します。 私たち幹事一同も、 新事務局長を中心に東海銀杏会の一層発展に努力するつもりです。

 東海銀杏会の発展の一つの道として、 同好会の拡大と充実があります。 本紙にこれまで紹介してきましたように、 他の地域同窓会では、 同好会活動がたいへん活発におこなわれ、 同好の士の親交を深めておられます。 会員の皆様の中には、 いろいろな趣味をお持ちの方がたくさんおられると思います。 是非、 お世話役を買って出て頂いて、 新しい同好会が生れることを期待します。 幹事会としても支援致します。