会報誌「東海銀杏会通信」は、基本的に2月と8月の年2回、発行しています。

東海銀杏会通信 No.9

発行日:H13.7.30
発行人:東海銀杏会 編集人:藤村 哲夫
目次
平成13年度総会報告
平成13年度 春の講演「JRセントラルタワーズについて」
開業・雑句薔薇蘊
ゴルフ同好会・ますます盛会になった H13年度ゴルフコンペ
地域同窓会紹介「肩の張らない集い 熊本淡青会」
囲碁同好会・三木会 「三木会」決起大会 賑やかに開催
島田俊夫先生の心臓移植にご支援を !!
東京大学の沿革 その5
小川敏氏(49法)、大垣市長に
事務局だより
編集後記

(各記事の最終部分にあるをクリックすると、この目次まで戻ります)

平成13年度 総会報告 幹事・広報副委員長 淺野道子(35経)
大西正一氏
弁護士らしく、キッチリ司会の大西正一氏

相羽洋一氏
出席者も引き込んでのマジック・ショー
相羽洋一氏

出席者203名は過去最高、大いに盛りあがった春の総会

 3月14日(水)名古屋マリオットアソシアホテルにおいて、平成13年度総会、講演会、見学会、懇親会が開催されました。
 恒例によって、総会に先立ち、幹事会が役員20名の出席の下に開催され、今後の本会の進め方について、開催の方法、日時、場所、回数などが真剣に討議され、その中で、広く参加しやすいように、時には、例会、懇親会を名古屋以外の場所で開催する提案もありました。これらは、常任幹事会で、今後さらに検討することになりました。

■総 会

 長谷川秀曼代表幹事の司会によって、16時から総会が松本省吾会長を議長として開催されました。平成12年度の活動と会計報告を岡田啓作会計担当常任幹事、平成13年度の役員体制の提案を木戸泰明常任幹事、平成13年度の活動計画と予算を水野秀昭事務局長が報告し、いずれも承認されました。

■講演会と見学会

 16時30分からジェイアール東海高島屋会長小玉俊一氏(33法)の司会によって、東海旅客鉄道?常務取締役事業推進本部長宇田川一氏(44法)の「JRセントラルタワーズについて」と題する講演があり、ビデオ上映に引き続いて、タワーズのビル管理設備、冷暖房設備などを見学させて頂きました。巨大タワーの縁の下の力持ちの威力を目の当たりに実感できました。約100名の参加者があり、5班に分けた見学に、たくさんの従業員を動員して頂き、予定通り18時に見学を終了しました。

■懇親会

 18時20分から大西正一常任幹事(50法)の司会によって懇親会に入りました。
 来賓として、連合会総務担当松井啓伊子氏(60法)、関西東大会代表理事大月功氏(37法)、東京銀杏会副代表幹事小林和子氏(39文)のご出席を頂き、松本会長の挨拶、村上郁雄氏(28工)の乾杯の音頭で宴会に入りました。
 今回は、特別企画として、相場洋一氏(46法)の「マジックショウ」が用意されていて、プロ並の腕前に各テーブルから感嘆の声が挙りました。出席者全員にマジック道具を提供して頂き、出席者のみなさんは、これを使って、職場や家庭で「俄かマジシャン」の腕を披露されたことと思います。
 歓談とショウの盛り上がりに時が経つのを忘れているうちに20時を越え、「ただ一つ」の大合唱に入り、続いて内藤明人副会長の閉会の辞で宴を閉じました。
 恒例によって、会場を変えての二次会も開催され、21時過ぎまで楽しい時を過ごしました。
 素晴らしい会場と特別企画のお陰で、出席者は203名とこれまでの最高を記録することができました。今後も、これを維持できればと思います。
 ホテルをはじめ、ご関係者のご尽力によって、盛大な催しができましたことを心から感謝致します。

H13年度 春の講演
「JRセントラルタワーズについて」
JR東海常務取締役 事業推進本部長
宇田川一昭(44法)
宇田川一昭氏
宇田川一昭氏

旧名古屋駅舎
旧名古屋駅舎

セントラルタワーズ
セントラルタワーズと周辺

はじめに

 ただいまご紹介いただきましたJR東海常務取締役・事業推進本部長の宇田川でございます。法学部を昭和44年に卒業しました。本日はタワーズご来場誠に有り難うございます。
 事業推進本部長と大変たいそうな名前がついておりますが、事業推進と言いましても鉄道業ではありませんで、鉄道業以外の事業、わかりやすく申しますと、所謂「関連事業」を所掌しております。従いまして、このタワーズ事業も一応私の所管ということになります。

名古屋駅

 ご覧の写真は旧名古屋駅です。旧名古屋駅舎は昭和12年に開業しました。当時この周辺にはまだ建物の集積は殆どなく、また、鉄道の駅としてもその規模・様式等から「東洋一の名古屋駅」と言われ、まさに当時の名古屋のランドマークだったわけですが、さすがに老朽化が進み、建て替えが国鉄時代末期からの課題となっていました。
 最近の名古屋駅は新幹線を含め1日約1千本の列車が発着し、乗降人員は当社分だけで1日約30万人、地下鉄・名鉄・近鉄を含めると鉄道のご利用客は1日100万人を超える規模であり、それにバスを加えた東海地方最大の総合交通ターミナルとなっています。

タワーズの概要

 名古屋駅を建て替えるにあたって、このように当社のエリアでもっとも高いポテンシャルを最大限有効に活用するにはどうしたらよいか? 社内での検討が重ねられ、行きついた結論が「タワーズ」です。
 即ち、名古屋駅のそれほど大きくない用地(約8万2千m2)の直上にホテル、百貨店、オフィスなどの都市機能を複合的に配置し、付加価値の高いいわば「立体都市」を実現するもの、名古屋のランドマーク、それがタワーズです。当社にとっては当面の関連事業の中核事業となるものです。
 平成2年の「基本構想」発表から平成11年12月の竣工まで約10年、平成6年8月の建設工事着手から約5年半をかけたビッグプロジェクトです。
 地上53階(ホテル棟)、地上51階(オフィス棟)、地下4階、最高高さ245m(オフィス棟)、これは日本で現在4番目です。横浜ランドマークタワー、関西のりんくうゲートタワービル、大阪ワールドトレードセンタービルに次ぐ高さです。延べ床面積は約41万m2で熱田神宮の約2倍、一棟の建物としては日本一とのことです。総事業費は約2千億円、デザインコンサルタントにはアメリカのKPFを起用しています。

当社関連事業とタワーズ

 先ほどタワーズが当社関連事業の当面の中核事業と申し上げましたが、その点を少し数字で説明しますと次のようになります。
 JR発足当初、つまり昭和62年度時点では、当社のグループ会社は20社であり、合計売上規模は約5百億円でした。その後、事業領域も拡大し現在グループ会社数は40社となり平成11年度の売上規模は約3千億円弱となっています。
 これにタワーズが安定的に稼動しますと、売上規模を約1千億円程度押し上げることとなります。タワーズ事業だけでグループ売上規模を3割以上アップさせるわけで、まさに当社関連事業の中核事業であるとご理解いただけるのではないかと考えます。

施設概要

 タワーズの底地は当社の所有で、ビル全体の建設主体・運営主体のジェイアールセントラルビル(当社100%子会社)に貸し付けています。キーテナントとしてホテルと百貨店が入りジェイアールセントラルビルに賃借料を払うことになります。
 冒頭でお話しましたとおり、ビルは平成11年12月に竣工し、直ちにオフィス賃貸、パノラマハウスや主として飲食テナントで構成されるタワーズプラザを開業し、平成12年3月に百貨店を開業、同年5月にホテルを開業し、全面開業しました。
 ホテルの運営はジェイアール東海ホテルズ(当社100%子会社)でホテル名称は名古屋マリオットアソシアホテル、当ホテルの運営に対し世界最大のホテルチェーン、マリオット社とFC契約を締結しています。
 百貨店の運営主体は(株)ジェイアール東海高島屋(当社と高島屋等の共同出資)で店名はジェイアール名古屋タカシマヤ。東急ハンズや三省堂などはそのテナントとなります。
 各施設の概要は、ビデオで紹介させていただきます。

タワーズの現況

 タワーズの営業状況ですが、一口にいって予想を上回る大変好調な状況で推移しています。
 オフィスはほぼ100%の入居状況です。パノラマハウスは開業以降3月末までで171万人のお客様にご来場いただきました。
 ホテルの客室平均稼働率は79%であり、名古屋周辺地域のお客様の宿泊も多く、曜日で見ますと金・土の休前日の稼働率がウィークデイを若干上回るというリゾートホテルの様相も見せています。
 百貨店の状況は開業初年度の来店者数が予想をはるかに上回る3,840万人となり、売上高も608億円に達しました。
 このように、タワーズ及び各事業とも順調にスタートすることが出来ましたが、これも東海地方最大の交通ターミナルである立地の良さに加え、ホテル、百貨店、オフィス等の都市機能を複合させ立体的に展開した「立体都市」の魅力がご好評をいただいている結果だと考えております。
 このタワーズにより名古屋駅前地区の活性化に何がしかの貢献が出来たのではないかと自負していますし、東海地区の人的交流に資するところがあったと考えています。
 当社のみならず地下鉄、名鉄、近鉄の輸送量や各社名古屋駅をご利用になるお客様も増えています。
 以上、タワーズは大変順調にスタートしましたが真価を問われるのはこれから、「2年目のジンクス」に陥らないよう、これからも常に新たな情報発信や魅力付けの努力を重ねて参りたいと思います。
 ご静聴有り難うございました。

開業・雑句薔薇蘊【かいぎょう・ざっくばらん】
名古屋高島屋・人間模様
(株)ジェイアール東海高島屋会長 小玉俊一(33法)

●前口上

 私は今、我が百貨店の100年史編纂にとりかかりたいと思っている。開業してまだ1年、何を今からと言われるかも知れないが、私の存念は次の如くである。
 第一に、我が百貨店建国の精神は、斜陽と言われようが何だろうが、21世紀初頭に生を受け、21世紀を脈々として生き続ける「百貨店という名の非百貨店」を創るにある。そこで100年史が必要となるということ。
 第二に、年紀的なものは、ほうっておいても作れるが、創業にまつわる国造りの物語は、記憶の新たなうちに、関係者が働いている、生きている間に蒐集しないと散逸してしまう。昨今の日本歴史論争の愚を犯したくないということ。
 そして開業1年、創業に際し高島屋、JRから出向して来た人々の原隊復帰が始まっている。その連中が、送別会で涙を押さえながら、想い出を語りつつ去っていき、東京、大阪で、はや同窓会を作るにいたった。そういう連中が同窓会を開くときの酒の肴にでもしてもらおうかと言うのも、一つの言い訳である。
 第三に、そういう訳であるから史実に基づきながら、正確であるよりは面白くあること。浪花節的、落語的であることが編集方針となる。
 このようなことで私はポツポツ落穂拾いをはじめているが、そのうち幾つかをここで御紹介したいと思う。

その1、トイレ部長物語
(初の部長設置はトイレット部長。平成6年)

●「伊勢は津でもつ津は伊勢でもつ、名古屋高島屋はレディストイレでもつ」

 21世紀は女性の時代であると誰かが言った。それが本当かどうか、男性はどうなるのかよく解らないところであるが、百貨店はどうなっているのかというのが議論のスタートであった。
 大体女房と一緒に外出するのは嫌だけど、なお更嫌なのは百貨店でも、音楽会、映画、演劇でも、トイレに行くとなかなか出て来ない。馬鹿面をして待っている位あほらしいことはない。これは女性の問題ではあるが男としても結構大事なことではないか。よし百貨店の実体調査をしようということになった。
 そこで我が社で最初の部長が誕生した。名付けて「トイレット部長」。勿論肩書だけの部長であって、部下もなければ、権限もない、交際費もなければ給与もあがらない、しょうない部長である。
 命ぜられたのはS君(独身26才)。
 「お前は、留学生試験に受かって居り、いずれ戦線離脱して米国へ行く。少し臭い仕事で苦労しておくのがお前の為だ。ありがたく思え。単なる調査にとどめず、身を挺して女性トイレに潜入、その実体を具体を究明しろ。我が社の?うん?は君にかかっている。まさかの時の救出は社が行うから、後顧のうれいなく職務に励め!」というのが社長直々の辞令であった。
 「私はそんな痴漢的なことは嫌です。まだ結婚前の身体です」「馬鹿、頭を使え。ガールフレンドの5人か10人いるだろう。彼女等に手伝ってもらえ」「では食事代位使っていいですね」「共に働く楽しみを味わえるのだ。自分で払え。うまく行けばその中からよい女房が見つかるかも知れないぞ」。
 S君はその後留学に際しその中の一人と結婚することとなり、社長はその席上この話を披露したというのが後日談。その報告を出して彼は米国へと旅立ったのである。

●調査報告と提案

 S君の報告及び提案は以下の如くであった。

1. 各百貨店の状況(東、大、名大型店10店)
入店客の女性比率 概ね  70〜80%
女性トイレの比率 概ね  50〜55%
その理由     他店慣例等論拠不明確(意識弱)
法令等の由来   戦時中の建築基準による

2. 提案
(1) 極力女性比率に近づけると共に、合わせてパウダー・スペースにも充分配慮すること。
(2) 各階ほぼ同一場所に設置すること。
(3) 豪華よりは、清潔感。特に和洋比、男子の大小比、荷物置、被服掛等機能に留意。床に直に買物袋を置くことのないようにすること。
(4) トイレの位置、便器の穴数は上下水道管の発注、工事工程等かなり早い時期に決定を要するので早期に方針を定めておくことが肝要。
(5) 開業宣伝に於いて女性訴求力大と思われるので、サービスメニューの最大のポイントにすること。
等々であった。

●報告の実現

 これ迄の百貨店は売場面積を最大にするため、トイレはあまった箇所になるべく小さく設置するのが例であり、彼の提案はかなり思い切った発想ではあった。が、21世紀のこれ迄にない百貨店をということの一つの柱として答申は全面的に採用されることになった。
 審議の過程で、S君に暴言をはいた彼の社長は、S君への罪ほろぼしのつもりか「男女比率を守る為には男性トイレは1階おきでよろし」とか、「開業宣伝の第一弾は一頁全面広告にトイレ物語一本でいこう」とか発言。
 それはあまりにも極端。男性客も増える時代が来るだろうし、宣伝がトイレ一本では百貨店の品位としても如何なものか。高島屋はバラの香がイメージ、等々の反撃に合い、結局男子大小合わせて77穴に対し女子プラス52穴約7割増の129穴。この比率は日本一、ということは世界一かも。男子も各フロアーに設置。開業広告も、設備環境としてのゆとりとくつろぎのパティオ、広く解りやすい通路。女性トイレの三本柱で、平成11年8月、全面広告をかざることとなった。

その2、情報システム物語
(研修出向1年。成果は、北海道美人の女房だけ)

●システム化が遅れていた百貨店業界

 百貨店をはじめるにあたって、情報システムというかコンピューターというか今の言葉でいえばITかも知らないが、他の業界に比し、近代兵器の使い方が著しく少なく遅れている業界だということに気がついた。当事者は、少量多品目でなかなかなじまないとか、ファションは感覚だとか当時は言っていたようであった。
 これは後発である我々にとっては大事な武器になるなと思い、業界でも最も進んでいると思われる北海道は丸井今井に研修をお願いすることにした。ありがたいことに丸井今井は、JR東海さんが百貨店をはじめるというならと喜んで引き受けてくださった。

●システム研究出向(北海道丸井今井。平成7年)

 この出向を命ぜられたのはO君である。彼はJRの情報システム部から新しい構築をするのだからと無理矢理借り受けた独身の好青年であった。それだけに重荷を背負って一人北海道にやり、ホームシックにかかって青函連絡船から海に飛びこまれたら困るななどと名古屋で噂していたものである。
 一年の研修を終えて帰って来た彼に早速研修報告会を開くよう命じたが、なかなか開かれない。彼の上司にどうしたんだというと、整理に忙しくてまとめるに暇がないらしいと理由にならないことを言っている。そんなばかなと更に問いただすとどうも丸井今井で好きな女性ができ、札幌・名古屋と1,500kmも急に離されたのでそれとの愛だの恋だのに忙しくて、社長の報告などはできない状態だという。そして何と「社長その女性と会ってください。そうすれば報告をします」と言ってきた。
 この馬鹿たれめがと思ったが、我が社には百貨店経験のある女性がいない。ことによると共働きさせる手もあるかなとつい「よし連れて来い」と言ってしまった。その後彼女と結婚したがどうもその女性は我が社で働いていないみたいである。

●我が社の構築

 しかし、我が社の情報システムは基本的には高島屋の営業システムを使いながら、経理システムその他個別のものについて彼の研究になるものを採用したものとなり、一方でJRの仕組みと整合性を持たせながらおかれた条件のもと、結構うまく稼動している。それだけでなく、社内の情報交換、外との情報交換と近代兵器を結構他百貨店に先駆けてトライしているのも、彼の結婚の成果と思い、JRから本人を返せと言ってきているが返さないでコキ使っている。

●具体的な展開の例

 やや専門的になるが、現場での利用例をあげれば次の如くである。

(1) 全てのレジからの迅速な情報把握のため、完全オンライン化。
(2) 設置場所を自由に動かすことができる様、業界では最大級のPOS無線化。

 これにより売場では、販売員が簡単にレイアウト変更を行っている。

(3) 個人の希望を盛り込んだ翌月の勤務体制を提案するシステム。
(4) 携帯電話対象のホームページ「ローズ・ナビ」。

●幕切と蛇足

 男性ばかり人間模様をつづってきたがその影に女あり。女性の悲喜こもごものお話をつづろうと思ったが、幸か不幸か紙面がつきた。
 「名古屋の街に馥郁たるバラの香りを」とJR東海と高島屋の提携発表記者会見で話したら、バラは高島屋のシンボルフラワーと注釈をつけて下さった有難い記者が居られた。ここに改めて標題に注釈をつけることにした所以である。

東海銀杏会ゴルフ同好会 ますます盛会になったH.13年度ゴルフコンペ
世話人:
久保田 勲(40法・旭硝子) 
TEL. (052)583-2872
松林 正之(41農・大成建設)TEL. (052)562-7520

  平成13年度の東海銀杏会ゴルフコンペは、去る4月15日(日)にベルフラワーカントリークラブで開催されました。今回は、昨年をさらに上回る30名の参加を得て、本コンペは、ますます盛会になりました。
 優勝は桑門聡氏(43工・豊田理研)で、同氏には、優勝者としての随筆を本紙に寄せてもらうようお願いし、下記に掲載しました。これは、今後も優勝者の恒例にしたいと思います。
 200名の方にご案内を差し上げましたが、転勤、転居などがあって、的確な連絡をとるのに苦労しました。中部地区の会員の移動の激しさを実感した次第です。
 ゴルフコンペは総会、例会とはひと味違った親しみを持てる会合です。是非、次回も多数のご参加をお待ちしています。


「憂いて心衰えず!」
東海銀杏会ゴルフコンペ優勝者 桑門 聰(43工)

「憂いて心衰えず!」フェアウエイが狭いティーグラウンドに立ったとき、こんな気持ちになりませんか?原典は『学は通のためにするにあらず、窮して困しまず、憂いて心衰えざるためなり。』より引きました。「学は」を「ゴルフの練習は」と置きかえれば、そのまま通用すると考えております。
 こういう時にはどうするか。振切るのです。結果を考えずに、振切るのです。しかし、それが出来ない。振切るには腕力をつけることが重要なのです。そこで、私が腕力をつけるためのトレーニング方法をお教えします。

●まず、左右ともに拳骨を作ります。指の第三関節が一列になる様に右の小指側を左の親指側に重ねます。そして右で押さえつけ左で持ち上げます。ついで左右入れ替えて下さい。

●次に手のひらを合わせ、左右から押します。指と指を合わせた状態と、指が合わないよう半回転させた状態とで押し合って下さい。

●3番目に指と指を引っ掛け合って引っ張って下さい。


 これを、息を吐きながら10秒間続けます。10秒ワンクール、全部を2クール毎日続けて下さい。その際、決して息を詰めない様に(倒れるといけないので!)。これらを繰り返せば筋力がつきます。また、器具が不要であり、且つ過負荷になることがなく安全です。私はこれで筋力アップし飛距離を伸ばしました。腕力はあるが気持ちがとおっしゃる方、そんな方は…銀杏会にいるわけがありませんよね。
 他にも、斜面からのショットの練習を、練習場で行ったりできる簡単な方法など沢山秘法を持っていますので、何度も優勝して、この場で少しづつ書かせて頂きます。
 さて、これからが本当の仕事です。春の銀杏会ゴルフコンペが4/15に開かれました。最長老の佐田登志夫氏(23工・豊田工業大学)を筆頭に参加者30名、元野球部員の方々も多く、全国区で有名な井出峻氏にも参加頂き、ますます盛んになってきました。
 結果は、優勝・桑門聰(豊田理研)、準優勝・竹内直彦氏(西松建設)、3位・近藤詔冶氏(トヨタ自動車)でした。次回は秋にという予定ですが、途中にシニア会をウィークデイ開催したらどうだとのご提案もありました。開催の節は奮ってご参加ください。
 最後に、この場を借りて…「フレー!フレー!ドラゴンズ!」

地域同窓会紹介
肩の張らない集い・熊本淡青会
藤村哲夫(29工)
 熊本淡青会のご紹介に際して、同会幹事の本田憲之助様からご報告を頂きました。
 熊本淡青会は、平成2年に発足しました。設立後、10年を経過し、地域同窓会の中では老舗になります。それ以前にも、昭和40年頃に熊本県庁関係者を中心に「赤門会」と称して、同窓の集まりを持っていました。
 例会・懇親会は、年2回(1月、7月)開催しています。懇親会の前に「談話会」と称して会員の方の中から、肩の凝らない楽しい話を伺うことにしています。最近の談話のテーマの一部を紹介すると「登山と健康」、「話せる英語を考える」、「バイオテクノロジー」、「天草のキリシタン文化」、「平泳ぎの田口選手のお話」といったものです。
 会で掌握している会員は150名、レスポンスのある会員は120名です。会員の主な所属は、熊本大学に40名、その他の大学に10名、熊本県庁に15名ほどです。
 例会への最近の出席者は20〜30名です。最盛時は60名を数えることもありました。最近、出席者が停滞気味ですので、いっそう盛り上げるために出席者の増加を図るつもりです。それほど広くない地域で、お互いによく知り合った顔ぶれですので、それを頼りに、辛抱強く参加を呼びかけたいと思っています。
 この会は、自然発生的な名残りをのこしていて、会則も整備されておらず、会長もいません。会費は徴収せず、例会の剰余金で会を運営しています。これも見方によっては、地方の会の特徴とも言えます。
 熊本淡青会へ連絡を取りたい方は、東海銀杏会事務局までご連絡下さい。
囲碁同好会 三木会
奥村プロの三面指導碁も

活性化を期して !!
「三木会」決起大会 賑やかに開催

 毎月第三木曜日に開催している囲碁同好会「三木会」ですが、最近、やや下火になる傾向がありました。そこで去る5月24日、再生を期して「決起集会」を催しました。
 上は25年卒から下は62年卒まで、17名の方にご参加頂き、賑やかに開催することができました。
 名簿の趣味欄から130名に案内状を出し、35名の方に三木会にご入会頂き、その中の17名が集った次第です。
 続いて、6月21日の三木会にも11名の出席者がありました。10名以上集まると酒を口にしながら和やかな雰囲気で烏鷺を戦わせることができます。このまま、三木会が定着することを期待しています。
 会場の「なつめ」は、囲碁好きのオヤジ一人が経営するスナックで、名古屋の碁打ちには、「知る人ぞ知る」名所になっています。プロの棋士もときどき顔を出し、無料で指導して頂けることもあります。
 参加者が増えると楽しさも増えます。友人を誘って大いにご参加下さい。


■三木会例会要項■
例会日:毎月第三木曜日、17時より、三々五々集合
会 費:5,000円(飲み放題・うち当面の運営費1,000円)、軽食(500円)
会 場:アミューズメントなつめ(栄グリーンビルB1)
    TEL.052-241-2308
幹 事:所   裕 TEL.052-231-7851・(社)名古屋銀行協会
    長谷川秀曼 TEL.052-872-0551・(株)ニートレックス
    岡田 啓作 TEL.052-914-8222・(株)啓文社
同窓の仲間
島田俊夫先生の心臓移植にご支援を!!
世話人:常任幹事 嶋田 晋(57工修、中京大学)
 同窓で名古屋大学工学研究科教授の島田俊夫先生は、拡張型心臓病を患い、生存のために心臓移植を必要としております。移植には膨大な費用を要するために名古屋大学を中心に募金活動を展開しています。是非とも皆様のご協力をお願い申し上げます。
 島田俊夫先生は、灘高から東大へ進み、1970年に東京大学工学系研究科計数工学専攻修士課程を修了、通産省工業技術院電子技術総合研究所を経て1993年に名古屋大学教授に赴任されました。先生は、世界的に著名なコンピュータ・アーキテクチャ研究者として知られ、国際的に大きな成果を挙げてこられました。
 平成5年に難病の拡張型心筋症を発症し、以来、入退院を繰り返していましたが回復が望めず、ついに昨年10月に補助心臓を埋め込みました。しかし、これは1年程度の応急処置で残されたわずかの時間内に心臓移植をするしか道がありません。
 国内での心臓移植は、年に3例程度しかなく、多くの患者が順番を待っています。先生は一刻を争う状況に追い込まれていて、緊急に海外での移植をめざすことになりました。その費用を支援するため、「島田先生を助ける会」を組織して、広く皆様の善意におすがりすることになりました。宜しくご支援のほどお願い致します。
詳細は、http://www.nuee.nagoya-u.ac.jp/shimada-shien/
ようこそ「島田先生を助ける会」のホームページを、
質問等は、E-mail: shimada-shien@nuee.nagoya-u.ac.jpまで。

※募金の振込先は割愛させて頂きました

東京大学の沿革 その5 藤村哲夫(29工)
東京帝国大学

東京帝国大学に改称

 明治30(1897)年、京都帝国大学が創立されたため、「帝国大学」は、「東京帝国大学」に改称された。そして、昭和24(1949)年に東京大学になるまで、約半世紀にわたって、東京帝国大学時代は続いた。
 東京帝国大学になって、組織や陣容が、積極的に拡大、充実されていった。全学の講座数は、明治30年から大正7年までの約20年間に129から206に、在籍学生数は1,927名から4,440名に増え、それに応じて、教官数もほぼ2倍になった。
 因みに、現在(2000・5)の学生数(学部、大学院)は26,887である。
 大学の国際化の一環として、明治33年から外国籍学生の受け入れを始めた。その中で圧倒的に多数を占めていたのは中国(清)籍の学生であった。
 現在、約2000人の外国人留学生が本学で学んでいる。
 明治32年から大正7年までの卒業生の中で成績優秀者には、宮中より「御賜の銀時計」が与えられた。被授与者は、毎年平均16名、合計323名であった。当時の卒業式には、天皇がしばしば臨席された。

研究所の設置

 東京帝国大学の充実の一環として研究所が設置された。各分科大学に付属する研究機関として、明治31年に理科大学付属臨海実験所、農科大学付属演習林、明治39(1906)年に農科大学付属農場、明治41年に医科大学付属医院薬局が設けられた。
 東京帝国大学直属の研究機関としては、大正5(1916)年に伝染病研究所、大正10年に航空研究所、大正14年に地震研究所が設けられた。
 伝染病研究所は、細菌学の研究と公衆衛生の普及の重要性を認識した福沢諭吉が土地と建物を、森村組の総帥森村市左衛門が機材費を提供して、明治25年に発足した大日本私立衛生会伝染病研究所を源流とし、その後、幾つかの曲折を経て、最終的に東京帝国大学に移管されたもので、大学というより国の研究機関としての役割を担っていた。この研究所は、現在、学内の30を越える研究所、センターの嚆矢となった。
 航空研究所は、第一次世界大戦によって示された航空機の重要性の認識に基づいて設置された。
 地震研究所は、大正12年に発生した関東大震災によって地震研究の必要性が高まって設置された。

大学の改革

 大正7年、学内に「帝国大学制度調査委員会」が設けられ、大学改革の答申が出された。この答申に基づいて、多くの改革が行われた。
 大正8年に東京帝国大学は、総合大学としての一体感を強めるために、従来の分科大学を学部に切り替えた。それまで法科大学内にあった明治41年設立の経済学科と42年設立の商業学科は、この切り替えを機に経済学部として独立した。
 大正10年に、第一高等学校との敷地交換によって、農学部が駒場から本郷に移転し、全学部の本郷キャンパス集結が完了した。
 その他、大正8年、総長候補者を全教授の選挙によって推薦、大正9年、学位授与権が大学に付与、大正10年、学年の開始を9月から4月に変更、大正11年、教授、助教授に60歳の定年制を設置、などが主な改革として挙げられる。

卒業生の比率の変遷

 興味深いのは、各学部(分科大学)別卒業生の比率の変遷である。
 明治18年では、法15、医25、工32、文6、理11、農12(%)であった。大正9年では、法50、医13、工16、文7、理3、農11(%)で、大正中期の東京帝国大学の卒業生の半数は法学部出であった。
 昭和25年では、法26、経15、医6、工28、文10、理5、農10(%)となって、工学部卒業生の比率が増えた。戦後、産業の発展によって工学系の需要が増えたためである。このように学部の卒業生の比率は時代の要請を反映していた。
 現在の比率は、法20、経10、医6、工25、文11、理8、農9、教養6、教育3、薬2(%)となっている。

関東大震災と大学の復興

関東大震災は本学にも大きな被害をもたらした。多くの建造物、実験諸施設、図書館が焼失又は倒壊した。とくに、図書館が全焼して75万冊の蔵書が焼失したことは大きな打撃であった。図書館は、学問の府として、調査、研究の中心的役割を果たすものであるから早急な復興が望まれた。その復興を助けたのが、アメリカのロックフェラー財団であった。大正13年、同財団から図書館の建設のために400万円の寄付の申し出があり、それを元に復興は実現し、大正15年に地鎮祭をおこない、昭和3年末に竣工した。著書の蒐集には、国内のみならず全世界から援助の手が差し伸べられ、昭和2年度末に蔵書は55万冊を数えた。
 正門の真正面にそそり立つ大講堂(安田講堂)は、安田保善社(安田財閥)の創設者安田善次郎の寄付によって建設された。大正10年、安田善次郎から講堂建設費として10万円の寄付があり、建設準備を進めている最中に関東大震災が発生した。設計図は出来上がっていたので、大正13年4月に着工し、翌14年7月に竣工した。
 震災の復興で本郷キャンパスの建造物の配置と設計を担当した営繕課長内田祥三教授は、本郷キャンパスの全体構想を纏めるにあたって、図書館と大講堂を象徴的記念建造物と位置づけて、これを中心に置いた。こうして、復興は着々と進められ、昭和16年に内田構想による最後の建造物が完成した。この間、20年近い歳月と多大な費用を要したが、東京帝国大学には、一つの設計思想に基づく整然とした建造物が並び、東京帝国大学は、「災い転じて福」とした。

小川 敏氏(49法)大垣市長に!!
さわやかな大垣」を目指して
小川 敏(岐阜県大垣市長)
 今年4月に岐阜県大垣市長に就任しました小川です。
 大垣市は、岐阜県の南西部、濃尾平野の北西部に位置する人口15万人、県下第二の都市です。市中心部には大垣城がそびえ立ち、「奥の細道むすびの地」など、俳聖松尾芭蕉ゆかりの足跡が残る歴史のまちでもあります。
 近年は、岐阜県の情報化施設「ソフトピアジャパン」を核に、多彩なプロジェクトを展開し、高度情報都市づくりに取り組んでいます。
 私は、この大垣市を人にやさしいさわやかなまち、文化の薫り高い都市にしていきたいと考えていますので、東海銀杏会の皆様の温かいご支援をお願い申し上げます。
事務局だより 水野秀昭(49工)

銀杏会ネットワークに積極的なご参加を

 事務局長の水野です。昨年の4月に事務局長に就任してから、1年余りが経ちました。この間一通りの行事を経験して、ようやく東海銀杏会の全貌や、東京大学同窓会連合会活動の動向が理解できるようになってきました。そこで今回以降このコーナーでは、事務局内部からの報告というよりは、東海銀杏会全体や連合会活動の現況を簡単にお伝えすることとし、皆様方のご理解とご協力を得たいと思っております。
 まず東海銀杏会の活動ですが、これまで春の総会と秋の例会をその行事の中核として、毎年欠かさず開催してまいりました。年2回の会合をもち、なおかつ東海銀杏会会員でなくても同窓生であれば誰でも参加できるという方式は、他の地区には例のないもので、東海銀杏会がとりわけ活発な活動を続けてこられた主要因であろうと思われます。
 しかしながら、会の発足以来12年余りが経過し、行事の実施方法についてもさまざまな意見が出されるようになってきました。たとえば、土日に開催して勤労者にも参加しやすくしてほしい、名古屋以外の場所でも開催したらどうか、特定のテーマに絞った企画はどうか、などです。
 確かに、現状のままでは参加できる層が限られてしまうという問題があり、そうした意見をそろそろ取り入れていかなければならない段階かもしれません。ただ、会場の確保や参加者への周知に要する準備期間を考えると、企画の変更は簡単なことではありませんし、毎年一定の条件を維持することは、それ自体、会の継続上意味のあることです。
 そこで、こうした意見に沿って少しでも多くの参加者を得るためには、従来の総会、例会だけではなく、趣味の会、地域会、勉強会、年代層別の会等を、なるべく数多く企画し、多様な行事形態を形成していく必要があると思われます。そのためには現状の限られたメンバーだけで遂行することは不可能ですから、これまで主体となってこられなかった方を含めたより多くの方々の参加を仰いでいかなくてはなりません。
 このために現在、常任幹事会や組織委員会等の場において、活動の多様化について議論がなされ企画化されようとしています。事務局はその中で必要な情報を提供するとともに、連絡ネットワークの基地として機能することになります。しかしながら、なんと言っても皆様方の積極的な参加が不可欠ですので、この場を借りてご協力をお願いする次第です。
 東海銀杏会にはこの他にも、会員数の減少や財政問題、同窓生の把握の難しさ等、いろいろな問題があります。また、連合会レベルでも最近大きな動きが出てきていますが、こうした問題は次回以降、追ってお伝えしていこうと思っています。
 来年春の総会は、平成14年3月20日(水)名古屋マリオットアソシアホテルでの開催に決定しました。是非、ご参加下さい。

編・集・後・記
寄稿歓迎!
このたびは、ジェイアール東海高島屋小玉俊一会長に百貨店開業に当ってのエピソードを楽しい随筆にして頂いたり、ゴルフコンペ優勝者桑門聡氏に優勝の秘訣を伝授して頂きました。今後も、皆さまから楽しい随筆をお寄せ頂きたいとお願い致します。
 今年の総会は、深山社長の特別なご配慮によって、念願の名古屋マリオットアソシアホテルで開催することができ、出席者も200名を越える盛会になりました。今後もご支援を宜しくお願い致します。それには、出席者を減らさないようにみんなで努力しなければなりません。
 同好会の囲碁もゴルフも、お世話人のご尽力によって、今年は、これまでにない盛会になりました。これからは、さらに新しい同好会が生れることを期待しています。
 小川敏氏が大垣市長に当選されました。おめでとうございます。小川氏は、岐阜長良川球場での東京六大学トーナメントのお世話役など、この地方の母校の盛り上がりにも尽力してこられました。「聖域なき構造改革」の中で、地方行政もますます厳しくなります。私たちも応援しますので、ご健康に気を付けて頑張って下さい。
 島田先生の募金にご協力下さい。先生の1日も早いご回復をお祈りします。
 本会の会員が最近減少傾向にあります。より魅力ある東海銀杏会にするために、皆さまの一層のご支援を宜しくお願い致します。

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