会報誌「東海銀杏会通信」は、基本的に2月と7月の年2回、発行しています。

東海銀杏会通信 No.11

発行日:H14.7.30
発行人:東海銀杏会 編集人:藤村 哲夫
目次
平成14年度総会報告
平成14年度 総会講演「大学改革 〜その社会的位置づけ〜」
二十一世紀の東京大学
初めての「ホームカミングデイ」盛会裡に
施設見学会・第2回
三英傑の遺構を訪ねる会・第1回
「長州を訪ねる旅」に参加して
東京大学音楽部管弦楽団 サマーコンサート2003 開催のお知らせ
編集人退任に当たって
編集後記

(各記事の最終部分にあるをクリックすると、この目次まで戻ります)

平成14年度 総会報告
常任幹事・広報副委員長 淺野道子(35経)
司会の小竹暢隆氏(51工)
司会の小竹暢隆氏(51工)

連合会代表幹事、日吉 章氏(34法)も激励に
連合会代表幹事
日吉 章氏(34法)も激励に

飛び入りの垣沼氏を交えて「ただひとつ」を熱唱
飛び入りの垣沼氏(32農・中央)を交えて「ただひとつ」を熱唱

乾杯は鈴木忠源氏(32工)
乾杯は鈴木忠源氏(32工)

来賓の三氏と松本会長(左端)
来賓の三氏と松本会長(左端)

真剣に何の打ち合わせ?
真剣に何の打ち合わせ?

何故かご機嫌です
何故かご機嫌です

役員の充実化と活動の活性化を図った
今後の展開を期待

 3月13日(水)、名古屋マリオットアソシアホテルにおいて、平成14年度総会、講演会、懇親会が開催されました。
 恒例によって、総会に先立ち、拡大幹事会が役員20名の出席の下に開催され、今後の会のあり方について熱心に討議されました。
 役員改選期ではありませんが、役員の充実の一環として、新副会長に大田正光氏(23工)、蓑浦宗吉氏(27法)、大島宏彦氏(32法)、永井恒夫氏(35法)、葛西敬之氏(38法)と永井恒夫氏の後任の新監事として高岡次郎氏(35経)の就任が提案、承認されました。

■総会

 長谷川秀曼代表幹事(32法)の司会により、16時から総会が松本省吾会長(12法)を議長として、約80名の参加の下に開催されました。
平成13年度の活動と会計報告を岡田啓作会計担当常任幹事(42法)、新役員体制の提案と新企画委員会について木戸泰明常任幹事(42工)、平成14年度の活動計画と予算を水野秀昭事務局長(49工)が報告し、いずれも承認されました。
特記すべきことは、13年度に新企画委員会が発足し、同好会が活発な活動に入ったことです。
 「施設見学会」の第1回として「トヨタ産業技術記念館」の見学、「三英傑の遺構を訪ねる会」の第1回として「信長のデビュー」の史跡見学が催されました。この活動は平成14年度も継続されます。
 また、「旅行クラブ」の第1回として「長州を訪ねる旅」が企画されました。
 これらの活動の活性化にともなって、囲碁、ゴルフの既存同好会の活動も活発になってきました。
 これらの会への参加報告など、東海銀杏会通信への寄稿の増加も期待されます。

■講演会

 16時30分より小竹暢隆氏(51工)の司会により、名古屋工業大学学長柳田博明氏(38工博)の「大学改革〜その社会的位置づけ」と題した講演が行われました。
 その概要は次頁に掲載しますが、日本の工業の中心地に存在する大学としての名古屋工業大学の未来像をOHPを駆使して、実にわかりやすく説明されました。
 この内容は、いち早く文部科学省に報告されて評価を得たようです。
 自分の教え子が一人もいない大学への落下傘降下は、周囲の人を驚かせました。
 改革に当たっては、教員組合から非難を受けたりして、たいへんなご苦労もあるようでした。
 大学は、教授会のためにあるのではなく、国民のためにあるという当たり前のことが通用しない国立大学に一大旋風を巻き起こそうとされています。心から声援を送りたいと思います。
 6人もの方から、活発な質問が出されたのも久しぶりでした。質問の内容は、それぞれの体験から感じている切実な問題ばかりでした。もう少し時間がほしいほどでした。

■懇親会

 懇親会の司会も小竹氏にご担当頂きました。
 松本会長の開会の挨拶の後、来賓の東京大学同窓会連合会代表幹事日吉章氏(34法)、東京銀杏会副代表幹事小林和子氏(39文)、関西東大会事務局長薩摩和男氏(49法)を代表して日吉氏よりご挨拶をいただき、乾杯の音頭は、鈴木忠源氏(21工)にお願いしました。
 出席者145名が14の卓に分かれて歓談しました。
 今年は若い人の参加が目立ったのは嬉しいことです。
 宴もたけなわとなった頃、常連の松林正之氏(41農)、本多信浄氏(46法)に加えて飛び入り参加の垣沼淳司氏(32農)の三氏が壇上に上がり「ただひとつ」をみんなで合唱し、20時10分、滝季夫副会長(29法)の閉会の挨拶で幕を閉じました。
 二次会も部屋をかえて従来どおりおこなわれ、30名の参加で盛会でした。
 次回は平成14年9月17日(火)の予定です。万障繰り合わせの上、ご出席をお待ちします。

H14年度 総会講演
大学改革 〜その社会的位置づけ〜
名古屋工業大学学長 柳田博明(38工博)
柳田博明氏
柳田博明氏

講演に聴き入る聴衆者

 昨年11月より現職に就任した。東大では先端科学技術研究センター長も務めたが、在任中、東大は欧米諸国に比べて社会貢献度が低いと批判していた。知的中核として文化的に寄与していないし、起業もしていないし、人材育成とくに生涯学習の受け入れも不充分であるという点で、である。
 東大は、世界の大学の中で60数番目と言われているが、私の実感ではもっと悪い。
 名古屋工業大学学長への就任は、いわば落下傘降下人事で、私が指導した教官は一人もいなかった。
 いま取り組んでいる改革を紹介する。

1.工科系大学改革の原点

 工科系大学に対しては、活力ある社会創成の起動力として、産学連携による新産業創出と技術を機軸とするビジネスマン育成への期待がある。
 工科系大学の重要な責任の一つは、未来を担える人材、すなわち、工学を基軸とした全人格を形成し自分で物事を主体的に解決出来る人材、を社会に供給することである。

大学改革の要点

●遠山(文部科学大臣)プラン……改革を加速する好機と捉え、積極的に対応する(全学集会等)
●大学の理念・目標
「ひとづくり」、「ものづくり」、「未来づくり」
●意思決定の迅速化
代議員会の設置、学長補佐機関の充実、常置委員会の整備
●民間的経営手法の導入
学長補佐機関への民間人の登用
●競争的環境の熟成
市場原理の導入
●斬新な教育,研究体制の整備
「おもひ」,「しくみ」,「つくり」,「ながれ」領域の構築

 今までは、教授会が文部科学省や社会より偉かった。
 学科の縦割りの閉鎖性を打破し、学際的領域を4つに分けて、新しい発想にもとづく新工学を創出したい。その実施を平成16年からの独立行政法人への移行に間に合わせたい。この改革が実現すれば日本で最初となる。

2.社会に対する説明責任(アカウンタビリティ)と意見聴取について

 工学系大学の改革にあっては、改革の方向、再編・統合を基軸とした「工科大学構想」を国民、とくに産業界に対して十分に説明し、強力な支持を得ることが大切である。
 この提案に対して、学内には、大学の自治が犯されるのではという抵抗があった。大学は教官組織のためにあるのではなく、社会のために存在していることが忘れられていると反論した。
 私の改革の進め方に対して、トップダウン、独裁と教員組合から批判された。民主主義と称してすべての意見がまとまった頃には、大学がなくなっているのではと反論した。

3.本構想の背景

 わが国の未来に対する現世代の責任の達成には、とくに技術立国を目指すわが国にとっては、工業系の名を付した大学の存在感を高めることが必要である。
 技術立国理念を標榜することにより、社会の目的感を高揚できる。技術立国を標榜するわが国には、強力な工業系大学が必要であり、ものづくり大国としての世界に対する責任の認識と基盤の整備が大切である。
 地元名古屋大学との統合も出されていたが、まず自分の大学をしっかり考え、個性輝く大学にしたい。

4.本構想の骨子

●工学(技術)を基軸とし、21世紀を切り拓く責任を自覚させる全人教育の実施
●工業的手法(synthesis)による多様な新産業の創出
●実学に強く先導性のある人材(技術分野)の育成
●競争、強調、補完、多様性の確保
●産学連携の強化
●社会ニーズへの即応
●現場を起点とする発想、問題意識を持った工学の創出

 大学院は先生の数だけ講義がある。カリキュラムに芯がない。これを改めるため、教育ポリシーに基づき、カリキュラムを組み、それにふさわしい教官を配置しようと考えている。専門を換えさせたり、産業界から人を求めることもできるはずだが、学内での審査基準を適用すると、大部分の人が不適格と判断されてしまう。もっと規制を緩和して産業界からの教育への協力が必要である。教育面での産学連携の必要性を痛感する。
 中部ではこの点有利なはずであるが、現実は実学が弱く坐学ばかりが多くなっている。サイエンスよりになっている。工学系大学が、本来やるべきことを見直したいと提案している。

5.再編、統合への視野

 地域に立脚し、特徴のある工科系大学間の連携を戦略的に再編する。単位互換、カリキュラム調整、人事交流、学生交流などを早急に検討する。
 名工大を基幹大学として、本構想への全国的規模での産業界からの支援をとりつける。
 医科大学に比べ工科大学は地域差が大きい。工科大学では地域の特長を生かした個性が発揮できる。名工大将来構想委員会でも発言したが、これからは名工大の時代である。名工大に寄せる期待は大きいのに、現状維持が最大のメンタリテェイでは情けない。期待に応えなければ見放される。まづ出来ないと先にいうのはよそう。

6.産学サミット(2001/12/15)での根幹

 学際性、公開性、国際性、流動性、迅速性(競争含む)を重視する。
 独立法人になったときの自由度はどうなるか。学長がどの程度裁量できるか。給料を自由に決められるのか。その範囲は、せいぜい10%程度か。
 アメリカでは良い人をとるために、大学全体のトータルは一定にして、個人では3倍くらいまでの給与差の可能性が残されている。身分制度の連続性もある。日本では異動すると損になる。これでは競争にならない。
 大学にはあまりにも市場原理が無さ過ぎる。アメリカの大学の先生は完全な市場原理に支配されている。
 大学と企業、大学間の奪い合いがあり、日本のようにprestige(プレステェイジ、名声)では動かない。経営学部と文学部では給料に3倍の差がある。
 大学で企業倫理を教えるときは、個の倫理をとれと教えている。個の倫理が集団の倫理と矛盾しないようにするには、自分が経営者になることである。

7.ベンチャービジネスについて

 「個」尊重の社会構造を!これをベンチャービジネスに期待する。
 ベンチャービジネスには、個の確立を尊重する文化的役割がある。21世紀は組織から個人の価値へと移行するのではないか。
 個の倫理と集団の倫理との相克の解消には起業がよい。
 起業は欧米では盛んである。私も作ったことがあるが、日本では少ない。日本でベンチャービジネスがうまく育たないのは、起業を教えるには自らの失敗例も必要だからである。そして、起業と大学との間を取り次ぐ人がいないからでもある。
 外国では大学と起業を結び付け、うまくいったらそれに見合った給料がもらえる。その仕組みの一つとして銀行に株を持つてもらう、教官も株を持つ。こうして、自分で自分の給料を稼ぐ。自分の技術に対して責任を持たされる。
 日本では私大では出来るかもしれないが、国立では公務員法で出来ない。これは大問題である。オックスフォード大学では、うまい方法で金を稼ぎ、それに見合った給料がもらえる。

8.技術倫理とは

 100年後に残す仕事は、孫の孫のために技術倫理にもとらないことが大切である。孫にじいさん、ばあさんの仕事の自慢ができることが、22世紀につながる仕事となる。
 与謝野晶子の乱れ髪がそうであったと思う。
 私は、とんでもないことをやろうとしているのではないかと思う時がある。名工大がつぶれると、日本が駄目になる。民間にいた経験からいうと、大学はよくこれで存在できていると思う。
 教育の業績評価はされているが、質的評価はされていない。実験や教え方の上手な人が評価される時代はすぐそこまで来ている。少子高齢化は、教育の中味を良くすると思う。
 これからの日本は、良い先生、教え方の上手な先生を採らなければならない。大学の先生にも市場原理を導入すべきである。企業から大学へ来ると給料が下がるが、プレステェイジ(名声)だけで来てくれる時代がいつまで続くか。

9.この地域への期待と不安

 この地域が栄えているのは、一人ひとりが技術をしっかりと持ち、その人たちが、チームワークを組んで仕事をしているからだと思う。ある部分について、この部分は要らないと切り捨てると、それにリンクする先がバラバラになる。相互の協力が大切である。
 人的ネットワークが、この地域を支えていることを忘れてはいけない。

10.質問への回答

 本講演では多くの質問が出された。その中で2つを紹介する。
●大学在学中に企業経験を持つ必要がるのではないか?
 大学在学中に企業へ出すことは、外国では実行されて効果が上がっている。現在大学にいられるのは8年だが、もっと長時間かけてでも卒業できるようにしたい。
 長岡技術大学や豊橋工科大学では、半年企業で働くことを今も実施していて効果があるという。名工大でも是非実現したい。
●産学連携に対する対応は?
 総合大学では、意思統一に時間がかかる。今東大では産学連携を大きく打ち出していて、学部内の意思統一がやっと昨年11月に出来たそうであるが、名工大は単科大学であるから、その点では比較的速い。一方、単科大学は視野が狭くなるという欠点がある。
 現在、大学と企業200社で、研究会を作っている。さらに改革して、地域の期待に応えるのが、私に課せられた義務である。皆様のご協力をお願いする。

二十一世紀の東京大学
東京大学広報誌「淡青」第6号(2002.2)掲載
常任幹事・広報副委員長 淺野道子(35経)
 私は昭和31年法経コースの文一へ入学した。女子学生はわずか3人であった。あこがれていた東大は私にとっては幻滅で、あの駒場での授業は、わくわくさせるものは何もなかったことを、40数年もたっても思い出す。卒業する時も女子には門戸が開かれておらず、私は地方公務員になったが、そこで世間の、東大卒業生へ寄せる期待の大きさには愕然とさせられた。東大を出ていることがマイナスにしかならず苦労をさせられた。男性に遅れて昇進するたびに、家庭との両立に血の出るような努力をしていても「東大を出ているから当然」の一言で片づけられた。

 私は発足当時から東海銀杏会で広報を担当していて幹事をやっている。そこで、断片的ではあるが、色々な人に出会ったので、感じた事を率直に述べたい。

 第一に組織に護られて安住している人もいる。肩書きをすべて取り払っても付き合っていきたい人がどれだけいるだろうかと思わされる時がある。創造性を求められるノーベル賞に、なぜ卒業生が少ないのか。人の痛みへの思いやりが少ないと感じる時もある。優遇されて当然だと思っているところがありはしないか。最近の不祥事に卒業生が多く関わっているのを、私はとても恥ずかしいと思う。

 生涯学習社会と言われて久しいが、学歴より学習歴を重要視する社会となり、諸悪の根源は東大だと言う人も多くなった。今までのままの東大であれば、東大不要論も出て来るであろう。国民の税金への関心が強くなるにつれ、その運営のありかたへの注文と風当たりが強くなろう。余程思いきった改革がされない限り生き残れないと思う。

 第二は入学制度の改革。単線でなく社会人を多く受け入れていくこと。入学すればそれで人生が終わったかのように、スタミナの切れたお坊ちゃん、お嬢さんを受け入れるのでなく、本当に勉強したい人を、生活を助成しても受け入れて欲しい。これからの国を背負う人材の養成こそ最重要課題である。

 第三は税金で運営するには限界がある。明治期の西欧文明の取り入れ、高級官僚養成の役目は終わった。先輩達に国費で卒業させてもらったという自覚が欠如している。国立だからとあぐらをかいていては、世の中から見捨てられよう。また、有能な頭脳が外国へ流出するのを防ぐ対策をとってほしい。

 第四は外国の学生や女子学生はまだ少数だから、もっと門戸を広げると良い。女性の卒業生は各自とても努力していて、おおむね評判が良い。これからは企業のトップへもアメリカのようにどんどん進出するだろうし、その事を私は期待したい。素晴らしい知能と人格の持ち主、そして世界をリードしていく人材の養成、これからの東大に求められるのは、このことに尽きる。

初めての「ホームカミングデイ」盛会裡に
東京大学同窓会連合会21世紀記念事業・参加報告
嶋田 晋(55工修)
東大グッズ(ワイン・お菓子等)の販売風景
東大グッズ(ワイン・お菓子等)の販売風景

発泡酒で乾杯!(懇親会)
発泡酒で乾杯!(懇親会)

21世紀を機に、卒業生の母校への理解と懐旧を促し、その連帯感を深めることを目的とした記念事業「ホームカミングディ」が、6月8日(土)、本郷キャンパスにて行われました。この記念事業は2002年春から5年間にわたり、毎年1回程度実施される予定です。今回は大成功を納めた第1回目の様子をご報告します。
 まだ6月というのによく晴れて暑い土曜日、多くの卒業生が、いそいそと安田講堂を目指して歩いていました。
 受付を済ませ、係員に誘導されて入った安田講堂はひんやりしていて、正面の壁画に懐かしい歴史の重みを感じました。
 講演に先立って、連合会長向坊隆氏の挨拶がある予定でしたが、代わって東京銀杏会会長石川六郎氏が挨拶されました。(向坊隆氏は7月4日ご逝去)
 続いて、佐々木毅総長が「これからの東大を展望して」という題で、教職員7,500名、学生29,000名、留学生2,000名を抱える大所帯の東大の現状と今後について30分間講演されました。今後の東大の課題として、次の4点が挙げられました。
  1.研究資源の有効活用
  2.教育の仕組みのデザイン
  3.社会との連携
  4.UI(ユニバーシティアイデンティティ)

 とくに3、4は、同窓会と関係が深く、UIについては、校歌や校旗がないために帰属意識が希薄であることが指摘されました。
 続いて、藤原正彦お茶の水大学教授が「日本のこれから、日本人のこれから」という題で1時間講演されました。
 明治以降のわが国の近代化の中で支配的であった欧米流の論理的思考と合理的精神が、最近、ほころんできたという指摘に始まり、数学者らしく「なぜ論理は破綻するのか」という証明をされました。そして、その論理に代わる価値観として、情緒を重要にしなさいという主張を展開されました。論理を最も大事にすると思われる数学者としては意外な発言でしたが、作家を両親に持ち、随筆家の肩書きから納得できるお話で、強い説得力がありました。
 最後に応援部OBによる「ただ一つ」の斉唱で安田講堂での講演会は閉会になりました。
 安田講堂には常設の太鼓があって、すぐに舞台の横から出てきたのは驚きでした。講演の参加者は600名位でした。
 次に構内見学に移り、構内7ケ所を参加者が自由に見学できるように準備されていました。普段見ることのできない「懐徳館」の庭園に入ることができるなど貴重な体験ができました。他にも総合博物館など貴重な資料を当日特別に拝見することが可能でした。
 午後4時30分より、安田講堂地下の中央食堂でメインイベントとも言える懇親会が開催されました。一人1,000円の会費で、発泡酒とつまみが出ました。ここでは東京銀杏会代表幹事日吉章氏と関西東大会会長新宮康男氏からの挨拶があり、余興として美人歌手(残念ながら東大OGではない)によるカンツォーネ独唱がありました。再び応援団OBの演技と応援歌の斉唱で閉めました。
 関西東大会は気合いが入っていて会の旗まで持ってきていました。
 講演、見学、懇親会と盛り沢山の第一回ホームカミングデイは大成功でした。
 受付に始まり、設営、誘導など多くの業務を分担された東大同窓会連合会と東大関係者のご尽力に感謝申し上げます。
施設見学会・第2回(4/14・日)
「ノリタケの森・見学会」に参加させていただいて
野原由利子(47育博)
野々村喜代子、清水たま子
「PALETTE」の前で  麗らかな四月の昼下がりに、ノリタケの森を訪れました。
 あの日本陶器(株)が、このように変っていようとは、近くにいながら知りませんでした。ウエルカムセンターで皆さんを待つ間、ノリタケの最高級陶磁器を眺めゴージャスな世界に浸っていました。
 皆さんが集まると別室に通され、ノリタケカンパニーリミテド元専務取締役鈴木啓志氏の明治37年に日本陶器が創立されるまでのお話を拝聴しました。これは受付で頂いたパンフレットにも載っていない貴重な内容で、要約すると次のようなお話でした。

・・・

 ペリーが来日して日米和親条約が結ばれ、続いて日米通商条約が結ばれた。これらは不平等条約で、それによって良質な日本の金貨が大量に流出していった。
 その金を取り戻すには、輸出できる商品を作って海外に売り、外貨を稼ぐしかないと福沢諭吉から教えられたノリタケの前身森村組の創始者森村市左衛門氏は、世界に通ずる高級陶磁器の製作に打ち込んでいった。
 こうして開発された「一陳盛」の技法は、職人の根気によって、釉薬を一点一点、点描で盛り上げていくもので、米国で高く評価され、外貨を獲得できるまでになった。
 明治11年に森村市左衛門氏の弟森村豊氏と佐藤百太郎氏はニューヨークで貿易商社森村ブラザーズを創設し、苦労して運営していった。
 森村組は、ボーンチャイナに挑戦していたが、どうしてもあの透き通るような白ができない。イギリスの陶磁器会社社長が来日した折、「一陳盛」に関心を寄せたので森村氏は快くその技法を教えた。その心の広さに敬服した社長はボーンチャイナの技法(リン酸カルシウムを加えることなど)を森村氏に伝えたのであった。

・・・

 日本経済の命運を背負って努力した方々の苦労話を丁寧に伝えてくださった鈴木氏のお話、そして藤村哲夫氏の「やはり『経済も人なり』ですな」というまとめのお言葉に深く感銘を覚えた1時間でした。
 その後、クラフトセンターで成形・絵付けなど、製品が出来上がるまでの工程を見学し、その隣にあるノリタケミュージアムでは、オールドノリタケの息をのむ程の美しさを目のあたりにして、タイムスリップしたかのように、引き込まれてしまいました。
 場内の一角にはアウトレットのショップもあり、きれいに手入れされた広いお庭の散策と併せて、いつ来ても楽しめそうな風情でした。そのショップの庭でお茶を飲みながら歓談して、最後には記念撮影をしていただきました。みんな、学びの後のよき顔で撮れていました。
 最初から最後まで、お仲間に入れていただいて、十二分に見学を楽しませていただき、充実した一日でした。木戸泰明様はじめ幹事の皆様、ありがとうございました。
(ご三人は愛知江南短期大学の先生方です)

三英傑の遺構を訪ねる会・第1回(3/10・日)
世話人 清水順二(49工)
大須観音から、いざ出発!
大須観音から、いざ出発!

清洲城をバックに。すっかり信長気分!?
清洲城をバックに。すっかり信長気分!?

寿限無茶屋での打ち上げは盛況に
寿限無茶屋での打ち上げは盛況に

初回は15人が1万5千歩の旅
 去る3月10日、三英傑の遺構を訪ねる会の記念すべき第1回が開催されました。今回のテーマは『信長のデビュー』でした。
 朝10時、集合場所の大須観音には、老若(?)男女合わせて15名が集り、大須萬松寺から清洲、桶狭間へ、地下鉄、名鉄を乗り継いでの1万5千歩の旅でした。幸い天候にも恵まれ、春先の行楽を楽しむことができました。
 有松宿の寿限無茶屋での打ち上げにも12名が参加、快い疲れと共においしいお酒で夕刻までおおいに盛り上がりました。
 次回は10月13日(日)、テーマは『信長の出世』として、小牧山城、江南方面、岐阜城を車を利用して訪ねる予定です。期日が近くなりましたら詳細をご案内します。
 興味のある方は、FAX又はEmeilにてお知らせ下さい。

 連絡先:山田商会常務取締役 清水順二
 E-meil:shimizu@yamada.tix.ne.jp
 電 話:052-871-9811 FAX:052-871-9869

旅行クラブ(5/20・月〜22・水)
「長州を訪ねる旅」に参加して
細田靖男(28法)
青梅島の景勝
青梅島の景勝

石碑の前で(右から2人目が板倉館長)
香月美術館「一瞬一生」の石碑の前で
(右から2人目が板倉館長)

 今回の旅は、感激と感動の連続でした。
 一行は、池沢宏郎氏(33薬修)、畑長年氏(37文)、木戸泰明氏(42工)と小生の各夫妻に、ご案内役の藤村哲夫氏(29工)の9人でした。
 予め藤村氏から「故郷紹介」という詳しい自作の案内書を頂いていましたので、十分な予備知識を持つて訪ねることができました。

大自然の造形物に心を奪われ

 5月20日午前11時30分、新幹線小郡駅の改札口に白木屋グランドホテルの半纏を着た藤村氏の姿がありました。
 長州名物瓦そばを食べて秋芳洞に入りました。大自然の作り出した大洞窟の中の不思議な形の造形物に目を奪われて歩いているうちに、いつの間にか1キロ先の出口にいました。
 天候に恵まれて、秋芳洞の上の秋吉台では、広大な草原の中に石灰石の岩が乱立する様を遙か彼方まで見通すことができました。大昔、海中で形成された珊瑚礁が、地殻変動で地上に押し上げられてできた異様な平原を眺めていることの不思議さに感動を覚えました。
 続いて日本海側に出て、かっては西の高野山と呼ばれた曹洞宗屈指の名刹大寧寺を訪れました。この寺は、戦国時代に西の大大名大内義隆が、家臣陶晴賢に攻められて自刃した場所としても有名です。木立に囲まれた山腹の薄暗い静かな場所に大内義隆始め大内一族の墓がありました。藤村氏に当時の歴史を聞き、立ち並ぶ墓碑を見ていると諸行無常の響きが聞えてきました。
 この寺の参詣道の正面入口に、盤石橋という大きな一枚岩の石橋があり、その苔むして落ち着いた佇まいは、周囲の景色と調和して見事なものでした。
 この一枚岩の橋の側面に、偈文が彫ってあり「物事を上辺だけで見てはいけない。外見はどうあれ、何でも受け入れる広い心を持つことが大切である」という意味の教えが書いてあるという藤村氏の説明は、静かな山川のせせらぎの音と共に心に沁みるものがありました。
 こうして、長門湯本温泉白木屋グランドホテルに着きました。このホテルは、藤村氏の弟さんが経営されていて、「プロが選ぶ日本のホテル・旅館百選」で、料理部門第5位、総合で23位と全国でも有名なホテルです。そのスイート室にゆっくりと落ち着きました。
 夕食は、ホテル自慢の特別料理だけあって、高級食材を使用した山海の珍味を調理し、味は勿論、器とその盛り付けも見事で、素晴らしい料理を楽しく頂きました。
 参加者はそれぞれ専門分野も異なり年齢も適当に分散していて、食事中の会話は、談論風発、ユーモアあり、夫人方からのお話も楽しく、時が経つのも忘れてしまいました。

長州の風土が生み出した芸術

 翌5月21日は晴天で風もなく、朝一番の観光船で青海島一周観光を楽しみました。日本海の荒波に削られた奇岩、絶壁、大小の洞門が続き、船の可愛いガイドさんの笑いに満ちた案内に夢中になって見上げたり、見回したりしているうちに1時間半の見物が終わっていました。
 今度は、青海島の絶壁に沿った遊歩道を歩きながら海上から見た絶景を陸からも鑑賞しました。
 東山魁夷画伯が、宮中と唐招提寺の障壁画を描くに当たって全国の景勝地を訪ね歩き、この青海島の風景に感動して、この島の景色を描いたことは有名ですが、その景色を画伯と同じ場所から見ることができました。海が穏やかで、東山画伯の絵にあるような岩を咬む白い波を見ることが出来なかったのは残念でした。(厚かましい。)
 その後、島の中の「通」という集落で鯨の胎児の墓にお参りしました。近くの寺には鯨の胎児の位牌や過去帳まであるとのことでした。近代捕鯨の基地「通」には鯨法会(くじらほうえ)といって鯨を供養する法要も営まれているとのことです。私たちの食料となってくれる鯨に常に感謝の気持ちを捧げて法要を営む人々の優しい気持に心を打たれました。
 青海島の手前の長門市仙崎港は、戦後の大陸からの引き揚げ船が着く港としても活躍しました。
 長門市にある藤村氏の母校、県立大津高校は元小結「智の花」が27歳まで教員をしていたところだそうです。
 最近たいへん高い評価を受けている童謡詩人「金子みすヾ」は、この仙崎で生まれ育ちました。
 実は小生は、これまで金子みすヾを全く知りませんでした。町角は至る所にみすヾの詩が掲げてあります。JR仙崎駅にある小さな「金子みすヾ記念館」には、沢山のみすヾの心の詩が色々な形で表現してあり、その優しい素晴らしい詩に接することができました。
 朝焼け小焼けだ/大漁だ/大羽鰮の大漁だ。
 浜は祭りのようだけど/海の中では/何万の/
 鰮のとむらい/するだろう。
 みすヾが生まれ育った地に立っただけでも、旅行の意義があったと思うほど感動しました。
 午後は長門市の隣町三隅町にある香月美術館を見学しました。藤村氏の配慮で香月泰男画伯の愛弟子の坂倉秀典美術館長に案内して頂き、館内を丁寧に見学しました。
 香月画伯の有名なシベリヤシリーズは、山口県立美術館にあって、ここではその原画の一部を見ることができました。たくさんの絵を一つひとつ館長の懇切な解説付きで拝見しました。
 香月画伯のシベリヤ抑留の苦労がひしひしと伝わってくる感じがしましたが、坂倉館長の香月画伯に対する敬愛の情がそうさせたものと思います。
 この美術館の入り口に「一瞬一生」と彫られた大きな石碑があり、香月画伯の好きな言葉だそうですが、人生を考えさせられました。
 香月画伯の絵は、小生にはよく理解できないところがあり、そのことを率直に館長に話すと、時間が経てばその良さが分かるとのことでした。確かにこの美術館で香月画伯の絵を見ているうちに、何か心に響くものを感じました。
 同画伯の絵の専門家間の評価は高く、日経アート95年版では東山魁夷に続いて第5位にランクされたとのことです。
 時間があったので、特別案内で古い性器信仰の一つ摩羅観音に参詣して、ホテルに戻り、温泉にゆったりつかって夕食になりました。前日にも増して美味・結構で歓談も参加者がお互いに親しみが増しただけ楽しいものでした。

歴史が今も息づく街、萩・山口

 22日は最後の日になり、午前中は、明治維新の故郷、萩市を訪れました。藤村氏の旧制高校の級友の方が、定年退職後、萩市の観光案内ボランティア会の会長をされていて、小雨中を丁寧に萩市内を案内して下さいました。維新の頃の萩市内の武家屋敷、土塀、屋敷の中の夏蜜柑の木など、そのまま残っていて、町そのものが博物館のようでした。
 歴代の藩主の墓のある東光寺は、立派な墓や500基に及ぶ灯籠の列が壮観でした。この寺には禁門の変で切腹を命じられた家老や家臣の墓もあり、宮仕えの悲哀を感じました。
 松下村塾を見学し、小さい平屋の建物の中でおこなわれた吉田松陰の1年余りの教育によって近代日本を建設した多くの人材が出たことに感動しました。
 萩には、偉大な仕事に献身させる雰囲気が今も残っているような気がします。
 案内頂いた萩焼の店で小さな香炉を記念に求めました。ホテルの売店で求めた萩焼の茶碗と共に感動の旅の思い出として、わが家の大切な宝物となりました。
 午後は西の小京都山口市で画聖雪舟の作になる常栄寺の庭を見学し、続いて瑠璃光寺の国宝五重塔を拝見しました。
 右手に池を隔てて、緑の木立を背景にくっきりと浮き出たバランスのとれた端正な五重塔の佇まいに思わず目を見張りました。このような美しい建造物は、今まで見たことがなく、何とも言えぬ感動を受け、じっと見ていると、心が吸い取られそうで、それでいて安らかな感じがする素晴らしい塔でした。
 藤村氏は、旧制山口高校在学時にこの近くで下宿され、いつもこの五重塔を眺めながら散策されたとのことでした。氏の温かいおおらかな人柄は、この地でこそ形成されたのではないかと思わせる美しい姿でした。
 山口市内の亀山公園に平成10年に新しいデザインで建設されたザビエル記念聖堂を拝見しました。ザビエルについての藤村氏のお話を聞きながら450年前にこの地を訪れた宣教師ザビエルの使命感と勇気を考えました。この新しいデザインの聖堂は、十字架がなければとても教会と思えない明るい軽やかなもので、これからの教会の一つのモデルになるのかとは思います。時代の変化を強く感じました。
 その後、聖堂の丘の下にある洒落たレストランでお茶を飲みながら最後の歓談を楽しみました。
 これで旅は終わりです。終るのがとても残念で心残りでした。藤村氏に参加者一同が、心から感謝のお礼を申し上げました。
 今回の旅は、自然が創り出した素晴らしい景勝、歴史そのものが生きている旧跡、詩情に溢れた街や建造物、心打つ詩と絵画の世界など長州そのものの魅力と、藤村氏の温かい献身的な行き届いたサービスと、氏のご兄弟のご厚意により、楽しく、感動する毎日でした。
 このような旅を体験することは、もう二度とないでしょう。有り難うございました。心からお礼申し上げます。

東海銀杏会ゴルフ同好会 平成14年度 第4回ゴルフコンペ報告
「会員の把握が今後の鍵」 世話人松林正之(41農)

 第4回・東海銀杏会ゴルフコンペが4月21日(日)、ベルフラワーカントリークラブでおこなわれました。
 日柄がよすぎたせいか、参加者は前回より約10名少ない20名でした。参加者数の多少にかかわらず、お互いに親しくなり、年々、楽しさが増して、ますます有意義な会になっていくのを感じます。
 栄えある優勝は、仲嶋 聰氏(42工・G90・H16.8・N73.2)、準優勝は、飯田耕介氏(63工・G89・H15.6・N73.4)、第3位は、竹内直彦氏(40工・G87・H13.2・N73.8)でした。
 会員の移動が激しいために、このような小さい集いでも、案内を間違いなく届けるのに世話役としてたいへん苦労しているのが実状です。
 大学当局が中心になって、全国ベースで卒業生の動きを正確に把握して、各地区の同窓会がそれを利用するようにしてもらいたいと切望しています。それが具体化しなければ、これ以上の同窓会の発展は難しいのではないかとつくづく思う次第です。


「ゴルフは他力本願」ゴルフコンペ優勝者仲島 聰(42工)

 ゴルフって分らないものです。思う処があって、しばらくゴルフ断ちをしていました。したがって今回は久しぶりのゴルフ。しかも、当日は生憎の雨。1番ティグランドに立った時には、どうなることかと不安でいっぱいでした。
 ところが意外や意外、1番ホールでいきなりパー。その後もまずまず順調にプレーを続けていました。
 そして最後の18番。池越えの2オンに成功すればグロス80台は確実。グリーンを狙った打球は、力が入り過ぎたのか、無惨にも池にぽちゃり。これで万事休す。やっぱり今日のゴルフも駄目だったかと諦めて風呂に向かいました。
 風呂から上がって、懇親会室で成績表をみるとなんと優勝。このホールが隠しホールなっていて、お陰で、ハンディキャップが増えて優勝になったのです。
 ゴルフは何といっても他力本願。球を池に放り込んで頂いた神様と気持ちよくプレーさせて頂いた同伴の高木さん、伍香さん,一色さんに心から感謝しています。

東京大学音楽部管弦楽団 サマーコンサート2002 開催のお知らせ
恒例の東京大学音楽部管弦楽団「サマーコンサート2002」が下記の通り催されます。
東海銀杏会会員の皆様には、お友だちなどお誘い合わせの上、ぜひ、ご出席頂き、後輩の活動をご支援下さい。

日 時●8月3日(土)(18:00開場、18:30開演)
場 所●三重県総合文化センターホール(津市)
曲 目●N.リムスキー・コルサコフ・交響組曲「シェヘラザード」
    R.シュトラウス・交響詩「ドンファン」
    L.V.ベートーベン・歌劇「フィデリオ」序曲
入場料●1,000円・全席自由
前売り●チケットぴあ(052-320-9999)
当団HP●http://webs.to/todaiorch/
お問い合わせ●千種(090−4443−0146)又は上記HPアドレス迄
編・集・後・記
寄稿歓迎!
第11号をお届け致します。本号は、新旧同好会への参加記事をたくさん頂いたので、充実した編集をすることができました。
 文中に見られるように、それぞれの同好会に参加されたみなさんにたいへん喜んで頂いていることは、お世話をする方でも励みになります。これまで、参加を遠慮されていた方々も是非ご参加下さい。
 今回は記事をたくさん頂いたので、2頁増やして10頁にし、連載中の「地域同窓会紹介」と「東京大学の沿革」を割愛しました。ご了承下さい。さらに記事が増えれば増ページも考慮します。一層のご寄稿をお待ちしています。
 柳田学長の大学改革には、心からの声援を送ります。編集子も、企業から大学に移って9年間教職にありました。その中で大学の根本的な改革の必要性を身をもって体験しました。このままでは、大学は、どんどん新しい方向に向けて進んでいる実業界から遊離してしまいます。
 改革には抵抗は付きものです。しかし、名古屋工業大学が柳田先生を学長にお招きしたことは、改革をしなければと思っている人たちが学内にはたくさんいることを示しています。その声援をバックに、わが国の教育改革の先鞭を付けて頂きたいと切望します。ご成功をお祈りします。
 東京大学広報誌「淡青」に大学の総務部の要請によって、淺野道子広報副委員長が小論を寄せられました。「本学の未来への期待・提言」というテーマでの寄稿依頼でしたので、それに応えての提言です。母校東大を愛すればこそ魅力ある東大の出現を待ち望んでいます。
 わが国を代表する本学が国際評価で六十数番目とは誠に情けないことです。過去の権威や栄光に依存することなく、大学関係者の奮起によって新しい東大の出現を望みます。
 同窓会もその実現に向けて、少しでも力になれればと思います。

予告 次回の秋の例会は9月17日(火)です

Copyright(C)2003.Tokai-Ichokai. All rights reserved.